(8)神奈川県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

神奈川県に被害を及ぼす地震は、主に相模湾から房総半島南東沖にかけてのプレート境界付近で発生する地震と、陸域の様々な深さで発生する地震である。なお、神奈川県とその周辺で発生した主な被害地震は、図5−55のとおりである。

相模湾から房総半島南東沖にかけてのプレート境界付近で発生する地震としては、1923年の関東地震(M7.9)がよく知られている。この地震の震源域は、県内のほぼ全域を含んでいると考えられており、県内では強い地震動が生じた。県内の全域で震度6の揺れとなり、南部の一部では震度7相当の揺れが生じたと推定されている。火災による被害も合わせて、県内では死者・行方不明者33,067名などの非常に大きな被害が生じた{75}。さらに、1923年の関東地震の余震である1924年の丹沢付近の地震(M7.3、丹沢地震と呼ぶこともある)でも、県内で死者13名などの被害が生じた{76}。また、1703年の元禄地震(M7.9〜8.2)でも、小田原をはじめ沿岸部を中心に、死者約2,300名などの大きな被害{77}が生じた。

 神奈川県の地形を見ると、県の西部には丹沢山地があり、その東側には相模川に沿って平野が広がっている。さらに、三浦半島を含む県東部には、なだらかな丘陵状の地形が続いていている。神奈川県は関東地方でも活断層の密度がもっとも高い。図5−56は、神奈川県の地形と主要な活断層を示したものである。県内の主要な活断層は、三浦半島には活動度A級の三浦半島断層群が北西−南東方向に延び、海域まで延びている可能性が高い。県中央部には活動度B級の伊勢原断層が南北方向に延びている。県西部の丹沢山地の南麓から大磯丘陵西縁にかけては、活動度A級の神縄・国府津−松田断層帯が北西−南東方向に延び、その南部は相模湾内の海底活断層に続くように延びている。このうち、三浦半島断層群は断層の南側が相対的に西の方向に動く右横ずれ断層であり、伊勢原断層と神縄・国府津−松田断層帯は逆断層である。神縄・国府津−松田断層帯などは、相模トラフから沈み込むフィリピン海プレートと密接に関係している{78}と考えられているが、相模トラフ沿いで発生するプレート間地震と連動して活動する{79}のか、独立に活動するのかは分かっていない。

 活断層調査によると、878年の相模・武蔵の地震(M7.4)は伊勢原断層で発生した可能性が指摘されている{80}。また、神縄・国府津−松田断層帯の最新活動時期は約3,000年前{81}と考えられている(巻末の注1も参照)。三浦半島断層群については、この断層群に属する北武断層での最新活動時期がおよそ1400〜1200年前と推定されている{82}

 県西部地域では、1633年の相模・駿河・伊豆の地震(M7.0)、1782年の相模・武蔵・甲斐の地震(M7)、1853年の小田原付近の地震(M6.7)などのM7程度の被害地震が繰り返し発生してきた。これらの地震と1703年の元禄地震(M7.9〜8.2)、1923年の関東地震(M7.9)の発生年数などから、この地域に被害を及ぼす大地震が、約70年間隔でほぼ規則的に繰り返し発生し、現在は次の発生時期にあたっているという説が出されている{83}。これは、歴史の資料の解釈に基づくと同時に、フィリピン海プレート上の伊豆半島が陸側のプレートの下に沈み込めずに衝突しているために、関東地方の下に沈み込むフィリピン海プレートと伊豆半島の間が、裂けるような形で破壊されなければならないという考えに依っている。この説に関してはいくつかの異論も唱えられている{84}

 また、県北西部の丹沢山地から山梨県東部にかけての深さ10〜30kmでは、伊豆半島が陸側のプレートに衝突するために生じると考えられる地震活動が活発で、M5〜6程度の地震は、数年に1回の割合で発生し、若干の被害が生じたことがある。

 また、陸域の深いところで発生した地震としては、最近では1992年の東京湾南部(浦賀水道付近)の地震(M5.9、深さ92km)などで若干の被害が生じたことがある。

また、1855年の(安政)江戸地震(M6.9)や(明治)東京地震と呼ばれる1894年の地震(M7.0)、1930年の北伊豆地震(M7.3)など周辺地域で発生する地震や東海沖・南海沖などの太平洋側沖合で発生するプレート境界付近で発生する地震によっても被害を受けることがある(巻末の注2も参照)。さらに、外国の地震によっても津波被害を受けることがある。なお、県西部の19市町は「東海地震」で被害が予想され、地震防災対策強化地域に指定されている(詳細は6−3(8)参照)。

 なお、神奈川県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図5−57に示す。

表5−8 神奈川県に被害を及ぼした主な地震