(1)東部地域(網走、釧路、根室の各支庁)に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

東部地域に被害を及ぼす地震は、主に太平洋側沖合の地震と陸域の浅い地震である。なお、東部地域とその周辺で発生した主な被害地震は、図3−25のとおりである。

 太平洋側の沖合で発生した最近の主な被害地震には、1952年の十勝沖地震(M8.2、詳細は3−2(1)参照)、1968年の十勝沖地震(M7.9、詳細は4−2(2)参照)、1973年の根室半島沖地震(M7.4)、1993年の釧路沖地震(M7.8、詳細は3−2(2)参照)、1994年の北海道東方沖地震(M8.1)がある。このうち、はじめの三つの地震は、太平洋プレートが陸側のプレートの下へ沈み込むことによって発生するプレート間地震である。日本海溝北部から千島海溝南部にかけては、1952年から1973年までの21年間に合計6個の規模の大きなプレート間地震が発生した。その後、しばらくこのような大規模な地震が発生しなかったが、1993年に釧路沖地震が、1994年に北海道東方沖地震が続いて発生した。しかし、この二つの地震は、プレート間地震ではなく、太平洋プレートそのものが破壊するプレート内の地震であった。

 太平洋側沖合いの地震では、特に東部地域の南半分(釧路支庁、根室支庁)で著しい被害を受ける。しかし、北半分では、地下深部(上部マントル)を通る地震波が大きく減衰するため、このタイプの地震による地震動が小さくなり、大きな被害を受けることはない。また、1993年の釧路沖地震を除いて、地震に伴って津波が発生し、太平洋沿岸に被害を与えた。なお、1975年の北海道東方沖の地震(M7.0)は、有感の範囲は比較的小さかったものの、津波は非常に大きかった{27}。このように、地震動は小さくても大きな津波を発生する地震(津波地震)が起きることもある。

東部地域では、その南部に根釧台地や釧路平野が広がり、北部には、雌阿寒岳、斜里岳、羅臼岳などの火山地帯を隔てて、北見山地がある。図3−26は、東部地域の地形と主要な活断層を示したものである。東部地域にある活断層は、長さ10〜15km以下の短いものであり、多くは縦ずれの逆断層と考えられる。このなかで、知床半島周辺に分布する標津断層帯の多くの活断層は活動度B級であるが、A級のもの(峰浜断層群)も知られている。このほか、網走湖周辺にも活動度B級の活断層が知られている。北見山地周辺の地域には、活断層は見つかっていない。なお、東部地域の既存の活断層で発生した被害地震は、歴史上知られていないが、活断層の活動間隔の多くは1,000年以上なので、そこで地震が発生しないということを示しているわけではない。また、火山地帯には、しばしば群発地震が発生する。

 陸域の浅い地震は、阿寒・弟子屈地域に集中している。1938年の屈斜路湖付近の地震(M6.1)では、震源域付近で著しい被害が生じた(詳細は3−2(4)参照)。この地震に伴って地表にずれが生じた{28}。さらに、1959年にも、この付近でいくつかの地震(M5.6,M6.3,M6.1)があり、被害が生じている{29}。このように、ここでは同じ程度の規模の地震が、比較的短い時間内で続いて発生することがある。また、1963年には、中標津町でM5.3の地震があり、小被害が生じた。北見山地からオホーツク海にかけての地域には、地震が少ない。しかし、1956年に網走沖で発生した地震(M6.3)では、常呂町で地震動による小被害があり、網走市でごく小さな津波が観測された。

 この地域の群発地震活動としては、1964年に羅臼付近で群発地震活動が約3ヶ月間続き、活動の中で最大のM4.6の地震により羅臼温泉で小被害が生じた。この他、1965年には弟子屈付近でM5.1の地震を含む群発地震活動があった。

 また、1933年の三陸地震(M8.1)に伴って根室や釧路に高さ1m前後の津波が来た{30}ように、三陸沖の地震や、1960年のチリ地震のような外国の地震によっても、津波による被害を受けることがある。

 なお、東部地域とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図3−27に示す。