2−1−2 基盤岩及び被覆層の分布深度

今回の調査対象である地震基盤(先新第三系)の深度を反映していると考えられるブーゲー異常図が,駒沢(1985),駒沢(1987),駒澤ほか(1988),地質調査所(2000)等に示されている。このうち,駒沢(1987)及び駒澤ほか(1988)には,重力基盤解析により得られた基盤深度図が示されている。駒澤ほか(1988)によると,図2−1−3に示すように,千葉県側から神奈川県側に至るほぼ東西〜西北西−東南東方向に伸長する深度2,000m以深の凹地と東京都区部からほぼ北方向に伸長する深度2,000m以深の凹部が示されている。

基盤岩上面等深線図は,多くの研究者により示されている。いずれもほぼ同様な形状を示している。重力解析により得られた結果と比較して,ほぼ東西方向に伸長する凹部の位置がやや南にずれており,基盤上面深度が全体に深くなっているが,大局的には類似した形状を示している。

東ほか(1989)は,主として東京都が地震予知と地下深部探査を目的として1975年〜1988年にかけて実施した発破実験の結果を取りまとめ,図2−1−4−1に示すように,首都圏における基盤上面の深度分布図を作成している。これによると,基盤岩上面には,千葉県木更津市東方に深度5,000m程度の最深部が認められ,ほぼ東西方向に横浜市南部にかけて,深度3,500〜4,000mの凹部が存在している。東京都においては,板橋区を中心に深度3,500mの凹部が認められ,ほぼ南北方向に伸長する構造が示されている。東京都区部では概ね3,000〜3,500mの深度となっている。

纐纈(1995)は,図2−1−4−2に示すように,木更津市東方に深度4,000mの最深部を示し,木更津市東方から横浜市にかけて深度3,000〜3,500mの凹部を示している。東京都においては,板橋区から蕨市に伸長するほぼ南北方向の深度3,000mの凹部を示している。東京都区部では概ね2,500〜3,000mの深度となっている。

鈴木(1996)は,関東平野で掘削された深層ボーリングデータ,地震探査結果,重力探査結果を参考に先新第三系上面の深度分布を示している。それによると,図図2−1−4−3に示すように,木更津市東方から房総半島中央部にかけてと,横浜市南部付近の2ヶ所に深度3,500mの凹部が示され,全体としてほぼ東西方向に伸長する深度3,000m程度の凹部とほぼ南北に伸長する板橋区付近深度3,000mの凹部を示している。東京都区部では概ね2,500〜3,000mの深度となっている。

鈴木(2002)には,鈴木(1996)を改訂した等深線図が示されている。鈴木(2002)によると,先新第三系基盤上面の形状は,基本的に鈴木(1996)と類似するが,図図2−1−4−4に示すように,最深部は千葉県市原市付近で深度4,000mに達し,横浜市南部付近には深度3,500mの凹部を示している。東京都側では鈴木(1996)とやや異なり,南北方向に伸長する凹部がやや不明瞭となり,複雑な形状となっている。東京都区部では概ね2,500〜3,000mの深度となっている。

また,鈴木(1996)及び鈴木(2002)は,上総層群基底面(三浦層群上面)及び下総層群基底面の等深線図も示している。鈴木(1996)による上総層群基底面には,図2−1−5−1に示すように,九十九里浜から東京湾北端部にかけて,ほぼ東西〜西北西−東南東方向に伸長する凹部が示され,東京都区内では,概ね1,500〜2,000m程度の深度となっている。また,鈴木(2002)による上総層群基底面には,図2−1−5−2に示すように,鈴木(1996)とほぼ同様,九十九里浜から東京湾北端部にかけて最深部を有する西北西−東南東方向の凹部が存在している。東京都区内では,概ね1,500〜2,000mの深度となっている。

鈴木(1996)による下総層群基底面には,図2−1−6−1に示すように,千葉市から船橋市にかけて深度400mの最深部が存在し,凹部はほぼ北西−南東方向に伸長した形状を示し,調査地付近では深度100〜200m程度となっている。また,鈴木(2002)による下総層群基底面については,鈴木(1996)と比較して広い範囲が示されており,図2−1−6−21に示すように,船橋市から千葉市を経て市原市に至る範囲に,深度400mの最深部が見られ,船橋市から北東方向へ伸長する凹部と,千葉市から南西方向に伸長する凹部が認められる。調査地付近では深度100〜200m程度を示している。