10−3 S波速度構造の推定について

堆積平野や堆積盆地を対象として将来襲うであろう地震による強震動予測を行うに当たっては、地震の発生源である地震断層に関する情報と、地震波が伝播する地殻や堆積層の地下構造に関する情報が必要になる。地震断層に関する情報は想定する地震によりそれぞれ異なるが、地下構造は不変であり、調査で得られた情報は将来に亘って有用である。今回の地下構造調査はこのような認識のもとに実施されたものである。

地震動に影響する基本的な地下構造情報は、P波速度Vp、S波速度Vs、密度ρ、P波の減衰特性Qp、S波の減衰特性Qsである。実際の地震動計算では、これら5つのパラメータ値がほぼ同じ値となる範囲を一つの層として層境界座標(形状および深度)を決定し、堆積平野や堆積盆地を多層構造としてモデル化する場合が多い。堀家(2000)は、層境界座標も含めたこれらのモデル化パラメータのうち地震動への影響度が大きいのは、S波の増幅に強く関わるS波速度、堆積盆地(平野)特有の波動現象(堆積層表面波、焦点効果、共振)に関わる層境界座標(特に形状)であり、更にはS波や堆積層表面波が伝播する過程でその震動の大きさを制御するS波の減衰特性も重要であると述べている。しかしながら、強震動予測に必要な広周波数帯域におけるS波の減衰特性を推定することは、現状では極めて困難とされている(堀家, 2000)。今回の調査においてもP波およびS波の速度構造の把握に主眼がおかれ、減衰特性については既往の成果を引用するにとどまった。地下構造調査もさることながら、最終の目的である強震動予測を考えるならば早急にこの問題の解決に向けての努力が必要であろう。

一方、地震基盤に達する地下深部の構造・物性調査法のうち、S波速度構造を把握できる手法には、

@ S波反射法地震探査(およびS波高密度屈折法地震探査)

A 微動アレー探査

B 速度検層(PS検層)

C 岩石試験(弾性波速度試験)

がある。また、爆破起振による屈折法地震探査において変換S波の走時を読み取ってS波速度構造を決定することもあるが、S波の同定および読み取り精度の点から実施例は少ない。

上記の手法のうち、@は2次元的な地下構造断面が得られる点で優れている。平成10年度から平成12年度にかけて神奈川県、横浜市および川崎市によって実施された地下構造調査(以下、本合同調査と記す)のなかでは、平成10年度に川崎市が、多摩川河川敷ガス橋付近において約500mの測線長でS波反射法地震探査を実施している。しかし、都市部での昼間測定ということもあってノイズが大きく、深度700m以深の反射断面は得られていない。現状において、可探深度を1km以上にすることは困難である(川崎市, 2001)。

BとCは深部ボーリングを必要とし、精度は高いもののボーリング孔沿いの1次元的な情報しか得られない。また、1孔当たりの調査費が高価であることから多点での実施は困難である。4.7節では、既存資料を基に、神奈川県周辺における各種物性値の関係をまとめた。P波速度とS波速度の関係については、既存の物理検層(VSP含む)結果3孔、岩石試験結果2孔(厚木観測井含まず)をデータとして使用した。しかし、データ数が少ない上に、P波速度3.0〜4.5km/sの範囲にほとんどデータがないことから、両者間の関係式を導出することは難しいとした。関東平野全域を見ると他の地域に比べて数多くの深部ボーリングが掘削されているものの、神奈川県周辺に限定するとその数は多いとは言えない状況である。

したがって、現時点において、地下深部のS波速度構造の把握を目的とした調査手法としては微動アレー探査が有効である。本合同調査では、そのような目的で微動アレー探査を32箇所(横浜市:大アレー8箇所; 小アレー20箇所、川崎市:大アレー4箇所)で行っている。この結果は本報告書の4.4節に示すとともに、本調査で求められた屈折法解析断面と微動アレー探査によって求められたS波速度構造との比較を6.2節で行った。

本合同調査の結果および既往地下構造調査の結果を整理すると、神奈川県(少なくとも県東部から中部)における代表的な地層とP波およびS波速度との関係は表10−3−1のようにまとめることができる。屈折法および反射法地震探査、物理検層、微動アレー探査と異なる手法を用いて得られた結果であるが、それぞれの整合性はかなり良いものと考えられる。これらの結果を総括すると、神奈川県におけるP波速度とS波速度の関係は、P波速度1.5〜2.3km/s、2.8〜3.1km/s、4.7〜5.2km/sに対して、それぞれS波速度0.5〜1.2km/s、1.3〜1.7km/s(あるいは1.3〜2.0km/s)、2.7〜2.9km/sと対応づけることができる。最下層のP波速度5.5km/s層については、微動アレー探査では基盤のS波速度が求まりにくいという短所があるために確定的ではないが、ほぼ3.0km/s程度のS波速度を有すると考えられる。本調査の第9章「地下構造モデルの検証」では、屈折法解析等によって明らかにされた神奈川県地域の大局的なP波速度層(表6−2)、および上記のP波速度とS波速度の関係を考慮し、層構造モデル(図9−1−3−1図9−1−3−2図9−1−3−3表9−3−1表9−4−4)を作成した。

広域に及ぶ地下深部までの2〜3次元的な地下構造を求めることができる調査手法は、屈折法および反射法地震探査であるが、両手法とも主にP波速度構造を対象としている。S波速度構造モデルを作成する手順としては、調査地域におけるP波速度とS波速度の関係を明らかにし、層境界形状はP波速度構造のものをそのまま使い、P波速度値に対応するS波速度値を選択する場合が多い。本調査で実施した「地下構造モデルの検証」では、この手順に従ってS波速度構造モデルを作成し、強震動記録の解析を行うことによって、今回求めた地下構造モデルの妥当性を検証した。この結果、地下構造モデルの妥当性が確認されたことから、間接的にではあるが、P波速度構造モデルとS波速度構造モデルとの対応が適切であることが検証されたものと考えられる。

微動アレー探査は、物理検層と同様に深度方向の1次元的な情報しか得られないが、1点当たりの調査費が安価であることから多点での測定ができ、補間を行うことにより調査地域の3次元的なS波速度構造を推定することも可能である。このため、強震動予測を行う際に必要となる地下構造に関する情報を得る上で、非常に有効な調査手法である。ただし、微動アレー探査には、以下のような特徴がある。

@ 前述したように、基盤のS波速度を求めにくい。

A 直接的なS波速度探査法ではなく、逆解析によりS波速度構造を求める。このため、単独では最適な速度構造が得られるとは限らない。

微動アレー探査結果を効果的に利用するには、上記の特徴を踏まえ、調査計画を立案する必要があろう。具体的には、深部ボーリング地点や屈折法地震探査の測線上に微動アレー探査の観測点を複数設定し、これらの探査結果を対比して整合性を高めることが望ましい。

今回の調査地域周辺の深部ボーリング地点のうち、府中の観測井ではS波検層が実施されているが、江東・横浜・厚木の観測井ではP波検層のみでS波検層は実施されていない。特に横浜観測井では、その周辺で微動アレー探査が実施されており、コントロールデータとして、この観測井におけるS波速度構造が得られていたならば、横浜市・川崎市で実施された微動アレー探査全体の解析精度を向上させることができたものと思われる。今後の地下構造調査においては、第8章でも述べたが、既存の深部ボーリング資料がない場合、新たな深部ボーリング地点では速度検層(PS検層)を必ず実施し、コントロールデータとなるP波・S波速度構造を求めておくことが重要と考えられる。

表10−3−1 神奈川県におけるP波速度とS波速度