(5)大分県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

大分県に被害を及ぼす地震は、主に県東方の海域に発生する地震と陸域の浅い地震である。なお、大分県とその周辺で発生した主な被害地震は、図9−32のとおりである。

 東方の海域で発生する主な地震は、九州や四国の下に沈み込んだフィリピン海プレ−トと陸側のプレ−トとの境界付近で発生していると考えられる。このうち、日向灘北部〜豊後水道で発生する地震によって大分県内に大きな被害が生じている。ここの地震は、M7以上の場合には津波を伴うことが多い。例えば、1769年の日向灘北部から豊後水道にかけての地震(M7 3/4)では、地震動により県内の諸城が破損したり多くの家屋が倒壊するなどの被害が生じた。さらに臼杵で田畑に海水が浸入した{41}。安政南海地震(M8.4)直後に発生した1854年の伊予西部(豊後水道付近)の地震(M7.3〜7.5)でも、かなりの被害が生じた。なお、1941年の日向灘の地震(M7.2)や1984年の日向灘の地震(M7.1)でも小被害が生じた。

 また、大分県は九州地方の下に深く沈み込んだフィリピン海プレート内の地震でも被害を受けることがある。例えば、1898年の九州中央部で発生したM6.7の地震(深さ約150kmと推定)で被害が生じた。また、宮崎県西部での1909年のM7.6の地震(深さ約150kmと推定)でも、県南部の沿岸地域で崖崩れや家屋への被害が生じた。

大分県中部付近には別府−島原地溝帯が東西に伸びている。この地溝帯の中には別府−万年山断層群が分布し、別府湾内にもほぼ東西に走る正断層が多数確認されている。国東半島から耶馬渓、英彦山にいたる県北部の山地には、やや古い時代の火山岩類が分布するが、ここには活断層も陸域の浅い被害地震も知られていない。県南部では、佐賀関半島付近を中央構造線がとおる。それ以南の沿岸部の山地は九州山地の一部であり、ここは活断層も地震も少ない。図9−33は大分県の地形と主要な活断層を示したものである。

陸域の浅い被害地震の多くは、別府−島原地溝帯に沿って発生しており、県内では別府湾周辺から湯布院町、庄内町周辺に多い。歴史の資料によると、1596年別府湾の地震(M7.0)では別府湾周辺の各地に大きな被害が生じた(詳細は9−2(5)参照)。最近では、1975年1月に阿蘇カルデラ北部の地震活動(最大M6.1)が、さらに同年4月には大分県中部の地震(M6.4)が発生した。大分中部の地震の被害地域は大分県内の庄内町、湯布院町、九重町、直入町、野津原町の5町に及んだ。震源域に最も近い庄内町内山地区ではほとんどの住家が全半壊するなどの被害が生じた。この地震は、南北方向の伸びの力による正断層型あるいは横ずれ断層型の断層運動によるものであった。それぞれの地震で、現在の大分市、竹田市や湯布院町、庄内町を中心に被害が生じた。なお、周辺地域で発生した規模の大きな浅い地震によって被害を受けることもある。例えば、679年の筑紫国の地震(M6.5〜7.5)によって、県西部と思われるところで山が崩れ、温泉が出たとする歴史の資料もある。

 大分県では、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域になった場合、地震動や津波による被害を受けている。例えば、1946年の南海地震(M8.0)では、死者4名や家屋全壊などの被害{42}が生じた。

 なお、大分県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図9−34に示す。

表9−5 大分県に被害を及ぼした主な地震