(3)長崎県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

長崎県に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅い地震である。なお、長崎県とその周辺で発生した主な被害地震は、図9−26のとおりである。

 島原半島は別府−島原地溝帯にあり、特に雲仙岳付近にはほぼ東西方向に走る活断層(雲仙断層群)が密集している。これらの活断層の多くは正断層である。また、五島列島、壱岐、対馬の北西の海域には北東−南西方向に走る活断層があるとともに複雑な地質構造になっていると推定されている。これらの地域を除くと県内には、活断層はほとんどない(図9−27)。

 浅い被害地震としては、1700年の壱岐・対馬付近の地震(M7)、1792年の島原半島の地震(M6.4)、1922年の島原半島の地震(M6.9、M6.5)などがある。このうち1700年の地震では、壱岐および対馬で被害が大きく、特に壱岐では石垣や墓石がことごとく崩れ、家屋も大半が崩壊した。佐賀や平戸でも瓦が落ちるなどの被害が生じた。震源の詳細は不明だが、被害状況から壱岐近海と推定されている{35}。なお、朝鮮半島でも被害が生じたことから判断すると、対馬の西方に震源があるとも考えられる{36}

 1792年の島原半島の地震は雲仙普賢岳の噴火活動に伴って発生した。1792年4月頃より島原半島周辺で有感地震が頻発し、5月21日にはM6.4の最大の地震が発生した。この地震が引き金となって古い溶岩ドームである眉山(当時前山)の一部が大崩壊した。崩壊した山体は有明海に流れこんで津波を発生させ、有明海沿岸に甚大な被害を及ぼした。この時の噴火では、噴火前から島原半島西部〜千々石湾(橘湾)付近を震源とする群発地震活動があり、1791年12月の地震では島原半島西部の小浜で家屋が倒壊して2名が死亡した{37}。なお、1990年から始まった雲仙普賢岳の最新の噴火活動でも、噴火約1年前から島原半島西部〜千々石湾で活発な地震活動があったが地震の規模は小さく被害はなかった。島原半島周辺では直接噴火活動に結びつかない群発地震もたびたび発生している。1922年の島原半島の地震では島原半島南部や西部を中心に大きな被害が生じた(詳細は9−2(4)参照)。また、1984年8月には島原半島西岸の千々石町付近で最大地震M5.7の群発地震活動があり、建物の一部破損や石垣破壊、墓石倒壊などの被害が生じた。なお、雲仙断層群に明確に対応する大きな地震は知られていないが、雲仙断層群では定常的に地震活動が発生している。長崎県では、このほか1657年の地震(M不明、長崎で被害大)、1725年の地震(M6.0、長崎、平戸で被害あり)、1828年の地震(M6、天草、長崎、五島で被害あり)などで被害が生じた。なお、周辺地域で発生した規模の大きな浅い地震によって被害を受けることもある。例えば、1889年の熊本の地震(M6.3)では、島原半島の眉山に山崩れがあった。

長崎県では、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域となった場合、地震動などによる被害を受けることがある。例えば、1707年の宝永地震(M8.4)や1854年の安政南海地震(M8.4)では地震動や津波による被害が生じた。また、1946年の南海地震(M8.0)でも、家屋への被害が生じた。

 なお、長崎県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図9−28に示す。

表9−3 長崎県に被害を及ぼした主な地震