(4)島原半島の地震(1922年12月8日、M6.9、M6.5)

この地震は、1時50分(M6.9)と11時2分(M6.5)と10時間たらずの間に相次いで発生した、陸域の浅い地震である。震源域はどちらの地震も千々石湾付近と考えられるが(図9−16)、最初の地震では島原半島南部、特に北有馬村で被害が著しかった。一方、後の地震では島原半島西部の小浜村付近で被害が大きかった。これらの2つの地震により、死者26名、負傷者39名、家屋の全壊などの被害{22}が生じた。この他、熊本県の天草や八代でも石碑倒壊などの被害が生じた。余震は順調に減少した(図9−17)。

 なお、島原半島周辺では、1792年5月21日にM6.4の地震が発生して眉山(当時前山)の一部が崩壊し(崩壊後、眉山と呼ばれる)、有明海沿岸に津波被害が生じた。その津波の高さは最大約9m{23}であったと推定されている。津波による死者は15,000名、家屋流失5,000以上{24}を数え、島原大変肥後迷惑と呼ばれている。この災害は、火山災害として、有史以来我が国で最も犠牲者の多かった災害である。