8 中国・四国地方の地震活動の特徴

中国・四国地方に被害を及ぼした地震としては太平洋側沖合で過去に繰り返して発生してきたM8程度の巨大地震や陸域で発生したM7程度の大地震などがある。このうち、太平洋側沖合の巨大地震は、広い範囲にわたる強い地震動とともに大きな津波を伴い、甚大な被害を及ぼしてきた。明治以降では、四国地方を中心に1,000名以上の死者{1}を出した1946年の南海地震(M8.0)がある。一方、陸域の浅いところでは、1872年の浜田地震(M7.1)や1943年の鳥取地震(M7.2)などの被害地震が発生している。大きな被害を出した鳥取地震は市街地のほぼ直下で発生した大地震である。また、安芸灘や伊予灘周辺でもM7程度の被害地震が発生している。さらに、日向灘の地震のように周辺地域で発生した地震や日本海東縁部で発生した地震による津波被害、1960年のチリ地震津波のように外国で発生した地震による津波被害も知られている。なお、図8−1図8−2は、これまで知られている中国・四国地方の主な被害地震を示したものである。

 中国・四国地方で発生する地震活動は、太平洋側沖合の南海トラフから陸側へ傾き下がるプレート境界付近で発生する地震と陸域の浅いところ(深さ約20km以浅)で発生する地震に大きく分けることができる。さらに、安芸灘や伊予灘など瀬戸内海の西部から豊後水道付近では、やや深いところで地震が発生している。

中国・四国地方には、南東の方向からフィリピン海プレートが年間約5cm{2}の速さで近づいており、南海トラフから中国・四国地方の下へ沈み込んでいる。フィリピン海プレートの沈み込みに伴う地震活動は、四国中央の北岸では深さ約40kmまでしかないが(図8−3A)、その西側の中国地方西部の南岸ではそれよりも深いところまで見られる(図8−3B)。瀬戸内海西部のやや深い地震は、フィリピン海プレートの沈み込みがこの地域まで達していることにより発生しているものと考えられている{3}

 中国地方の地形を見ると、中国山地が東西に広がっており、全般的にきわめてなだらかな山容を示す。中国地方は活断層も少なく、これまでに陸域の浅い大地震の記録があまりないところである。また、日本列島の中では地殻変動が比較的小さい(図8−5)。ただし、明治以降、浜田地震や鳥取地震という大地震が発生している。それに対して、四国地方では、石鎚山や剣山に代表されるような急峻な山地が連なっている。この急峻な山地の北端には、地質構造上の大きな境界である中央構造線がほぼ東西に走っている。中央構造線を境にして、このような山地が平野(新居浜平野など)と接したり、この構造線に沿うように、平野(徳島平野)が山地に細長く入り込んでいたりする。このように地形的にも明瞭な四国地方の中央構造線は、活動度が非常に高い活断層でもある。なお、四国地方には、中央構造線断層帯を除いて、高い活動度を示す活断層は知られていない。図8−4は、中国・四国地方の地形と活断層の分布を南東方向と北西方向から鳥瞰したものである。

 中国・四国地方とその周辺の最近の地震活動を見ると、太平洋側沖合の南海トラフ沿いでは、1946年の南海地震以降、被害地震は発生していない。陸域を見ると、中国地方では、いくつかの場所でM5〜6程度の浅い地震が発生し、小被害が局所的に生じた。例えば、1977年と1978年の島根県中部(三瓶山付近)でのM5〜6程度の地震、1989年と1991年の鳥取・島根県境付近でのM5〜6程度の地震、1987年の山口県中部の地震(M5.2)、1991年の周防灘の地震(M6.0)、1997年の山口・島根県境の地震(M6.1)などである。四国地方では、1955年の徳島県南部の地震(M6.4)以降、陸域の浅い被害地震は発生していない。中国・四国地方の周辺地域では、1995年の兵庫県南部地震(M7.2)が発生し、徳島県及び香川県で小被害が生じた。瀬戸内海の西部周辺では、1968年と1979年にM6程度のやや深い地震が発生し、小被害が生じた。また、1968年の日向灘の地震(M7.5)では、高知県及び愛媛県に被害が出ている。