(1)太平洋側沖合などのプレート境界付近で発生する地震

フィリピン海プレートは、四国地方の太平洋側沖合にある南海トラフから、中国・四国地方の下に沈み込んでいる(図8−3)。

 太平洋側沖合などのプレート境界付近で発生する地震は、沈み込むフィリピン海プレートと陸側のプレートがその境界でずれ動くことにより発生するプレート間地震と、沈み込むフィリピン海プレートの内部で発生するやや深い地震に分けられる。

1)フィリピン海プレートの沈み込みによるプレート間地震

 フィリピン海プレートの沈み込みによるプレート間地震としては、南海トラフ沿いで発生する巨大地震がある。この地震は、広範囲にわたる地震動の被害とともに、関東地方から九州・沖縄地方に至る太平洋沿岸に津波による被害をもたらす。また、場合によっては、1707年の宝永地震(M8.4)のように駿河湾西部から四国西部までの広い範囲を震源域として、日本における最大級の地震が発生することがある。このような地震は、過去に繰り返して発生しており、歴史の資料にも数多くの記録が残っている。

 記録をさかのぼると、古くは684年に、各地の地震動による被害とともに土佐で津波による多数の船の沈没と地震に伴う地殻変動による田畑の水没があったことが記録されている。その後も、887年,1096年及び1099年、1361年、1498年、1605年、1707年、1854年、1944年及び1946年と、南海トラフ沿いではほぼ100〜150年間隔でM8程度の巨大地震が繰り返し発生してきた。

これらの巨大地震が発生する範囲はある程度決まっており、四国沖〜紀伊半島沖(南海沖)だけを震源域とする地震を南海地震といい、それより東側(東海沖)だけを震源域とする地震を東海地震と言うことが多い。なお、その発生が懸念されている、いわゆる「東海地震」は、駿河トラフ周辺を震源域とする地震であり、歴史上の東海地震と比べ震源域がかなり狭いものである。

 これまで南海トラフ沿いでの巨大地震は、震源域を隣り合わせて続けてないしは同時に発生してきた。特に、続けて発生した場合には、東側(東海沖)でまず発生し、その後西側(南海沖)で発生したことが多い。例えば、1944年の東南海地震(M7.9)と2年後の1946年の南海地震(M8.0)のように巨大地震が数ヶ月から数年おいて続けて発生したり、1854年12月23日の安政東海地震(M8.4)とその32時間後の12月24日の安政南海地震(M8.4)のように短時間のうちに立て続けに発生したりしたことがある。さらに、東海沖と南海沖でほぼ同時に2つの地震が起こった、あるいは東海沖から南海沖に至る海域全体で起こったと考えられている1605年の慶長地震(M7.9)や1707年の宝永地震もある{4}

 これらの地震は、日本の他の地域の地震に比べ、発生間隔などがよくわかっている地震であるが、地震動や津波の大きさは毎回かなり異なっている。例えば、1605年の慶長地震では、関東地方から九州地方に至る太平洋沿岸に津波が押し寄せたが、それに対応する地震動による被害の記録がほとんどない{5}このため、この地震が通常の地震より断層がゆっくりとずれる津波地震であったとする指摘もある{6}

 四国地方の地殻変動をみると、室戸岬周辺が1946年の南海地震を挟む期間に北西−南東方向に伸びていることや平常時には沈降していた室戸岬がこの地震時に約1mも隆起した{7}ことが分かっている。これらの現象は、この地震により、四国側が太平洋側に大きくのし上がったことを示している。室戸岬や足摺岬周辺では、少なくともここ100,000年間以上、このような地殻変動が南海トラフ沿いの巨大地震に伴い繰り返されてきた。特に室戸岬付近には、過去の浅海底面が隆起してできた階段状の平坦な土地(海岸段丘)が分布しており、約125,000年前に海岸線であったところが、現在では標高約200mにまで持ち上げられていることが知られている{8}。なお、室戸岬の背後(北西側)にある高知市周辺では、1946年の南海地震時に最大約1m沈降し{9}、海水の侵入等の被害が生じた。

 1946年の南海地震以降の期間では、四国全域で北西−南東方向の縮みが観測されている。これは、フィリピン海プレートの沈み込みによる次の南海地震の発生に向けた歪の蓄積が始まっていることを示している。

2)沈み込むフィリピン海プレート内の地震

沈み込むフィリピン海プレート内部の地震の深さは、四国中央部の太平洋岸付近で約30km、その北側、例えば中央構造線付近では約40kmに達する。それより北では、不明瞭になる。四国地方の下に沈み込むフィリピン海プレート内では、定常的に規模の小さな地震が発生しているが、大きな被害地震は知られていない。

 これに対して、瀬戸内海の西部から豊後水道付近で定常的に発生している地震は、九州の下で発生している深い地震(九州の下に沈み込んだフィリピン海プレート内の地震)の発生域につながるようにみえる。瀬戸内海の西部から豊後水道付近では、周辺の沿岸地域に被害をもたらした地震がいくつも知られている。歴史の資料によればM7クラスの被害地震は、1649年(M7.0)、1686年(M7〜7.4)、1854年(M7.3〜7.5)などである。明治以降には、1905年に芸予地震(M7 1/4)が発生している。これらの地震は沈み込んだプレート内のやや深い地震とも考えられるが特定はできない{10}。なお、1968年の豊後水道での地震(M6.6)や1979年の瀬戸内海西部での地震(M6.1)はやや深く、沈み込んだプレート内の地震である。

 さらに、九州地方の下に深く沈み込んだプレート内で発生する大地震によって被害を受けることもある(9−1(1)2)参照)。