(2)陸域の浅い地震(深さ約20km以浅)

近畿地方の地形を見ると、紀伊半島の中央部を東西に横切る中央構造線の南側と北側で特徴が異なっている。中央構造線より北側では、大阪平野や京都盆地、琵琶湖などの比較的大きな平野や盆地などが分布し、それらの周りには鈴鹿山脈や比良山地、六甲山地、生駒山地、金剛山地などの山地が分布している。近畿地方の活断層のほとんどはこの地域に分布しており、平野・盆地と山地との境目に沿って延びていることが多い。上に挙げたような近畿地方の大きな平野や盆地は、その縁にある活断層のずれの累積によって発達してきたと考えられている。これに対し、中央構造線より南側では、広大な山地が形成されており、活断層はほとんどない。

近畿地方の活断層の分布を見ると、敦賀湾を頂点として伊勢湾に至る断層帯、及び、敦賀湾を頂点として京都、神戸を通り、淡路島に至る断層帯がある。この2つの断層帯と中央構造線で囲まれた三角形の地域は、特に活断層が密集して分布し、日本の中でも最も活断層が多い地域の一つである。この三角形の中に分布する活断層は、木津川断層帯を除き、縦ずれ成分が卓越しており、三角形の境界を成す断層帯や外側に分布する活断層は、横ずれ成分が卓越している。

 近畿地方の活断層の多くは、活動度がB級であり、東西方向に圧縮されるような向きに動く活動を繰り返してきた。ただし、中央構造線の紀伊半島中央部より西は中央構造線断層帯の一部であり、活動度はA級で、北西−南東方向に圧縮されるような向きに動く活動を繰り返してきた。地殻変動の観測によると、中央構造線より北側では東西方向の縮みが卓越しており、活断層の活動と調和している(図7−6AB)。中央構造線より南側では、フィリピン海プレートの沈み込みの影響を強く受け、通常は北西−南東方向に縮み(図7−6B)、南海トラフ沿いの巨大地震発生時には北西−南東方向に伸びるような変動をしている(図7−6A)。中央構造線の活動も、フィリピン海プレートの沈み込みの影響を強く受けていると考えられる。

 被害地震としては、例えば、京都・大阪・奈良を中心に被害が大きかった1596年の地震(M7 1/2 :慶長伏見地震と呼ぶこともある)が知られている。最近の活断層調査で、この地震は兵庫県南部から京都府南部に東西方向に延びる有馬−高槻断層帯及び六甲・淡路島断層帯で発生した可能性があることが分かった{8}。また、琵琶湖の西側を中心に被害が大きかった1662年の地震(M7 1/4〜7.6)は琵琶湖西岸断層帯及び三方・花折断層帯北部{9}で、伊賀地方を中心に被害が大きかった1854年の地震( M7 1/4:伊賀上野地震と呼ぶこともある)は木津川断層帯で発生した{10}と考えられている。明治以降では、兵庫県北部で1925年の北但馬地震(M6.8)、京都府北部の丹後半島で1927年の北丹後地震(M7.3)、兵庫県南部で1995年の兵庫県南部地震(M7.2)が発生し、大きな被害が生じた。これらの地震の調査によると北丹後地震や兵庫県南部地震は既存の活断層で発生した(詳細は7−2(2)、(3)参照)が、北但馬地震では、地震により一部で地表にずれが生じた{11}ものの、対応する活断層は知られていない。このように活断層が知られていない地域でも被害地震が発生することがある。また、上述の地震より規模が小さいM6程度の浅い地震によっても、局所的に被害が生ずることがあり、その発生する場所は活断層帯とは限らない。なお、活断層の活動間隔の多くは1,000年以上なので、そこで発生した地震が知られていなくても、地震が発生しないということを示しているわけではない。

 また、和歌山市付近では定常的に地震活動が活発である。ほとんどがM5程度以下の中小規模の地震であるが、有感地震回数は年平均35回程度{12}にのぼり、日本で最も有感地震回数の多い地域の一つである。(7−3(7)参照)