(7)岐阜県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

岐阜県に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅い地震である。また、南海トラフ沿いの巨大地震は県南部を中心に地震動による被害を及ぼす。なお、岐阜県とその周辺で発生した主な被害地震は、図6−61のとおりである。

岐阜県の地形をみると、県の北〜中部には、飛騨山脈、飛騨高地、両白山地などが連なり、県南部の一部には濃尾平野が広がっている。また、濃尾平野の東側には、高原状の地形(美濃三河高原)が広がっている。岐阜県には顕著な活断層が多く、我が国のなかで最も活断層が密集している地域の一つである(図6−62)。県内の主要な活断層は、ほとんどが北東−南西方向あるいは北西−南東方向に延びている。活動度はAまたはB級であり、ほとんどが東西から圧縮されるような向きに動く横ずれ断層であるが、主に県西部で知られている断層では逆断層成分をもつ活動をするものが多い。活断層の分布の傾向をみると、県北部から東部の主要な活断層は、庄川断層帯と阿寺断層帯を除き、北東−南西方向に延びている。北から牛首断層、跡津川断層、高山・大原断層帯、屏風山・恵那山断層帯がある(跡津川断層については、6−3(2)を参照)。阿寺断層帯は、北西−南東方向に延びる活動度A級の顕著な左横ずれ断層である。トレンチ調査結果から、阿寺断層帯の平均的な活動間隔は約2000年、その最新の活動は、1586年の天正地震(M7.8)に相当する{77}とされている。県西部の主な活断層としては、北から長良川上流断層帯、濃尾断層帯、関ヶ原断層帯、養老−桑名−四日市断層帯があり、これらは北西−南東方向に延びている。また、岐阜市から名古屋市にかけての地下には、岐阜−一宮断層帯{96}(北西−南東方向)があることが知られている。

 陸域の浅い被害地震としては、濃尾断層帯および岐阜−一宮断層帯{96}で発生した1891年の濃尾地震(M8.0)がよく知られている(詳細は6−2(2)参照)。

 歴史の資料によると、745年の美濃の地震(M7.9)や762年の美濃・飛騨・信濃の地震(M不明)をはじめ、岐阜県では古くから被害地震の記録がある。その中で天正地震と呼ばれる1586年の地震(M7.8)は、その被害の範囲から、1891年の濃尾地震(M8.0)に匹敵するような非常に大きな地震であったと考えられている(詳細は6−2(4)参照)。また、飛越地震(飛騨地震ともいわれる)と呼ばれる1858年の地震(M7.0〜 7.1)では、県北部を中心に被害が生じ、その被害状況などから跡津川断層で発生したと考えられている{78}。比較的最近では、県北部を中心に死者3名などの被害{79}が生じた1961年の北美濃地震(M7.0)、県中部を中心に死者1名などの被害{80}が生じた1969年の岐阜県中部の地震(M6.6)などが知られている。このほか、M6程度以下の地震は活断層帯以外でも発生することがあり、局所的に被害が生じたことがある。

 飛騨地方では小規模ながら群発地震の活動域が点在し、飛騨萩原付近、小坂町、高根村などの他、長野県境の山岳地域にも活発な地震活動がみられる。

 1847年の善光寺地震の際には、飛騨保木脇で山崩れがあり、圧死者数十名などの被害が生じたとの記録がある。また、滋賀県の東部で発生した1819年の地震(M7 1/4)では、県西部を中心に被害が生じた。このように周辺の地域で発生した地震によっても被害を受けることがある。

 南海トラフ沿いの巨大地震で、地震動による被害を受けている。1707年の宝永地震(M8.4)や1854年の安政東海地震(M8.4)、安政南海地震(M8.4)の際に、県南部を中心に大きな被害が生じた。1944年の東南海地震(M7.9)では、県内で死者・行方不明者16名、住家全壊406など{81}、さらに1946年の南海地震(M8.0)の際には、死者32名、住家全壊340など{82}の被害が生じた。なお、県南東部の中津川市は「東海地震」で被害が予想され、地震防災対策強化地域に指定されている(詳細は6−3(8)参照)。

 なお、岐阜県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図6−63に示す。

表6−7 岐阜県に被害を及ぼした主な地震