(4)天正地震(1586年1月18日(天正13年11月29日)M7.8)

この地震は、陸域の浅い地震と考えられ、その規模は非常に大きなものと推定されている。岐阜県ほぼ全域、富山県西部、滋賀県東部、名古屋市などで震度6相当と推定される(図6−24)。飛騨白川谷の保木脇で大山崩れがあり、帰雲城が埋没して城主以下多数が圧死した。白川谷全体では倒家が埋没300余{26}という。越中木船城(高岡市の南西)では、城主以下多数が圧死したとされる。その他大垣、尾張の長嶋、近江長浜、京都などでも被害が生じた。余震は翌天正14年1月まで頻発した。京都でも約1年間余震が感じられた{27}尾張、伊勢の海岸付近では、液状化現象があったと思われる記録{28}が見られる。また、伊勢湾で津波があったような記録{29}もある。

 震源域については、庄川断層帯(御母衣断層を含む)付近から阿寺断層帯付近にかけてとする見方が強い(6−3(7)参照)。伊勢湾奥付近の活断層(養老−桑名−四日市断層帯など)もこのとき一緒に活動したとする考えもある{30}。この地震については現在もいろいろ調査されているが不明な点が多い。