1−1 立川断層及び横浜市域の地質に関する今までの調査

立川断層は、立川市街地を通る断層で、阿須丘陵小曽木から箱根ヶ崎、三ツ木、砂川を通り、多摩川低地で不明となる。昭和49年に立川断層が確認されて以来、研究が進み、今ではよくわかっている断層の一つとなっている。

 松田博之はか(1977)は空中写真の判読により、リニアメントを抽出し、関東平野の活断層と関連づけ、その中で立川断層について述べている。立川断層については延長32km以上とし、砂川3丁目の工事現場で逆断層の露頭を確認している。

 山崎晴雄ほか(1978)は、立川断層の延長は21kmとし、各地形面にあらわれた撓曲を追跡した。撓曲崖は100〜300mの幅を持つが、幅2kmの波状変形として現れる所もある。地形面の対比は、テフラを用い、離水層準を識別した。地下資料から上総層群の変位量は70mに及ぶことを確認した。地形面の形成年代と変位量から平均変位速度は0.36m/103年,一回の活動での単位変位量は1.8m,発生する地震のマグニチュードは約7.1,再来周期は約5000年であるとしている。

 萩原幸男ほか(1988)は、重力探査の結果より、立川断層が左横ずれ断層の可能性があることを示唆している。また、短波長ブーゲー異常図には、立川断層に沿って、北西から南東方向の帯状の構造が現れている。

 角田清美(1983)は、霞川低地の藤橋上流域の堆積物の14C分析より立川断層の最新の活動は1400y.B.P.と推定している。その後、角田清美ほか(1988)は、堆積層を3層に分け、静水域に堆積したと思われる均質な細粒堆積物であるU層堆積直前に最新の活動があったものとして、その時期を1800y.B.P.としている。角田清美ほか(1994)は、さらにトレンチより採取した沼地〜泥炭地性堆積物の年代からもう一つ前の活動が6500y.B.P.であるとしている。

 瀬尾和大ほか(1980)は、首都圏南西部(夢の島〜江の島)において爆破地震動による地下深部探査を実施し、その結果、首都圏の他の地域に比べ基盤の地下構造が非常に複雑であることを確認した。山中浩明ほか(1986)は、横浜市北部の鶴見川に沿って基盤より上位の地層において南西落ちの段差を確認した。瀬尾和大ほか(1990)は、夢の島から小田原に至る測線で図1−1のように横浜・川崎付近の基盤に段差がみられるとし、これが立川断層の延長部にあたることを指摘している。また、山中浩明ほか(1993)は、同様な手法を用い、所沢から高尾山に至る測線で立川断層の位置で基盤に段差を確認している(図1−2)。

 遠藤毅ほか(1995)は、ボーリング調査を実施し、瑞穂砂礫層の深度分布より地下深部の地質構造を明らかにし、立川断層・瑞穂断層の2つの断層を見いだしている。

 三梨昴(1995)は、首都圏西南部の地質構造を調べ、各堆積層の変化から基盤の運動を推定し、最新期の地殻変動と浅発地震の分布が一致しているとしている。