4−1 庄内平野東縁断層帯

庄内平野東縁断層帯では、平成9年度に実施した酒田市生石地区で実施した反射法探査によって、庄内平野東縁断層のうち北部区間である観音寺断層では大規模な褶曲構造の成長がこの断層の活動様式として特徴付けられた。しかし、一般的に知られている低角逆断層の構造とは大きな相違が認められ、この地域の断層活動・地震活動がより東側の酒田衝上断層群と関連する可能性も示唆された。このため、平成9年度調査では探査範囲とならなかった酒田衝上断層群の一部である松山断層の地下構造を明らかにし検討を行なった。

この結果得られた深度断面図と平成9年実施の深度断面図を図4−1−1に示した。生石測線では丘陵前縁に位置する観音寺断層の東側には明瞭な背斜構造といくつかの断層面が確認されたが、今回の調査では生石測線において大きく変形していた地層と対比される鮮新世〜更新世の地層にほとんど変形が見られない。

測線の西側には更新世前期以前の地層が褶曲し、中位段丘面が褶曲変形する丘陵地が存在する。しかし、この構造の影響は今回の反射法探査測線内には全く出現していない。このことは、丘陵を構成する背斜構造が極めて限られた範囲のものであり、同時にこの北部延長である生石付近の背斜構造は南に向かって規模が小さくなり、変形の規模も縮小している可能性が考えられる。 

これに対して酒田衝上断層群の一部と考えられる松山断層では鮮新世の地層が更新世後期もしくは完新世の地層に乗り上げている可能性が高く断層面沿いの累積変位が極めて大きいと考えられる。また、解析断面に示された断層面はわずかな分岐が認められ、東側のものが澤、他(1997)に示された活断層に対応する可能性が高い。より平野側のものは澤、他(1996)に示された平野部の地形的傾斜変換部に対応する可能性がある(図4−1−2)。

これらのことから、庄内平野東縁では最も西よりの観音寺断層は主に地層の著しい変形が起こり、これが極めて新しい時代まで続いており、地層の変形が集中する部分で地層のずれを起している可能性がある。

より東側に連続する酒田衝上断層群は、松山断層の連続する区間で断層活動により鮮新世の地層が地表まで到達して断層面も地下深部から表層部まで到達し、更新世もしくは完新世の地層に乗り上げている可能性がある。この2つの断層のうち観音寺断層は今回の探査結果から判断して酒田衝上断層群に直接収斂するものではなく、より東側の地下深部で収斂する可能性が考えられ、松山断層は酒田衝上断層に直結するものと判断される。

反射法探査の結果から基盤岩中の断層が直接は地表まで到達している可能性が少ない観音寺断層では断層活動による地層変形が、地層を切るような際立った不連続を持たない傾動もしくは傾動として地表に現れる可能性が高い。酒田市北境では断層面の存在を確認するばかりでなく、このような地層変形から断層(撓曲)の活動履歴を明らかにしなければならない。従って平成10年度調査はやや深度の深いボーリング掘削も含め、断層横断方向に配置したボーリング調査を実施した。

得られたコアの観察による地層対比および年代測定の結果から、各孔に出現する層厚3〜4mの砂礫層およびこの直下の礫混じり砂層はほぼ連続した砂礫層であると判断される。ここでNo.1孔とNo.4孔における砂礫層の出現深度の高度差は110mの距離で約30mに達している(図4−1−3付図7)。

また、砂礫層の状面には広範囲に堆積したと考えられる腐植層が存在することから、この礫層上面はほぼ水平に堆積したものであると考えられる。また、約6,000〜7,000年前に堆積した地層も山際で急傾斜を示し、上位の約3,000年前に堆積した地層はこれらと斜交する。このことから、No.1孔とNo.4孔の高度差は、砂礫層堆積後の変形によってもたらされたものであり、より上位の地層には断層活動の累積性が考えられる。トレンチ調査ではこのような地層の傾斜や深度に配慮し、幅の広い範囲に分散する可能性をもった活動履歴の解析を踏まえた調査実施が必要となる。

立川町山崎地区では、トレンチ調査実施位置を決定するためと、北部と同様に広い幅での地層変形を確認するためにボーリング調査を実施した。ボーリング調査で得られたコア観察の結果から以下のことが明らかとなった。

No.1孔の深度5.55mまでの堆積物とNo.2孔に見られる深度4.70までの堆積物は層相がやや異なるものの、この地点の東側の沢から供給された沖積層の一部と考えられる。No.1孔の深度5.55m以下およびNo.2孔の深度14.50m以下はこの地域の東側の丘陵地を形成する鮮新世楯山層の泥岩・凝灰岩・礫岩と考えられる。No.2孔の深度4.70〜8.75mの角礫状シルトは、楯山層の泥岩が著しく風化したものか、破砕などによって風化が進んだものの可能性が考えられる。

No.2孔の深度8.75〜11.74mの間は未固結の堆積物であり、上位のシルト層が泥岩の風化物などであるならば、この区間では泥岩が砂礫層などの堆積物に乗り上げる形状となっていることになる(断層fa)。また、深度11.74mから泥岩の上面ませには泥岩と礫層の繰り返しが確認され(断層fb)、No.3孔の深度15.0m付近には、年代値と礫層の分布から逆断層(断層fc)の存在が考えられる(図4−1−4付図8)。

以上からこの地域では少なくとも更新世の礫層に基盤岩が乗り上げる逆断層が存在し、これがNo.2孔とNo.3孔の間もしくはNo.3孔の西側で地表付近に到達している。想定される断層のうち累積変位が大きいものは、断層faもしくは断層fcであり、最新活動は2つもしくはいずれかの断層で起っているものと考えられる。

No.3孔では深度3.63mもしくは4.15mまでの堆積物がNo.1,2孔に見られる沖積層と考えられ、この堆積物の基底面は緩やかな傾斜を示している。これに対してNo.3孔の深度24.25mから出現する礫層は、No.4孔の深度20.0m付近から出現する礫層に対比されるものと考えられ、この礫層の頂面にはほとんど高度差が見られない。従って、この地域における地層の変形はNo.3孔とNo.4の間ではほとんどなく、No.3孔付近で完了している。

これらの調査結果からは、庄内平野東縁断層の活動履歴を詳細にするにはいたっていないが、少なくとも南部地域では断層が地表付近に到達していることは明らかで、松山町で行なわれた澤、他(1997)のトレンチ調査は松山断層の完新世における活動を捕らえており、この地点のやや西よりの傾斜変換部を含めれば松山断層が地表まで到達した活動の履歴を明らかにすることになる。

また、立川町山崎地区では断層の存在する可能性が高く、この活動履歴が松山断層のそれと同様であれば、庄内平野東縁断層帯のうち少なくとも南部20kmは連続したセグメントとして扱われることになる。

北部区間においては、断層面が地表付近で面沿いの大きなずれを起している可能性は少ないかわりに、断層活動が地層変形によって地表に現れる可能性は高くこれらの問題を検討するために、トレンチ調査の位置、大きさ、長さ、深さについて掘削時には充分な注意が払われるべきである。また、この地域では広域にわたる地層変形から断層の活動履歴を読み取る新たな視点・手法・解析方法を試みる必要がある。