(2)大石田町横山−村山市白鳥、長善寺地域

大石田町横山−村山市白鳥地域では、横山地区において鮮新世〜更新世にかけての地層が断層想定位置付近で大きく変形し、一部では地層の逆転も見られた(図5−3−22写真5−3−13)。この地層の急傾斜帯を構成する堆積物中の凝灰岩および凝灰質砂岩にはピソライトが含まれることから、この地層の一部は新庄盆地に分布する山屋層に対比される可能性がある。

このことは、この地域の断層活動が山屋層堆積後(更新世)に地層の著しい変形をもたらしたことを示すものであり、この急傾斜帯の前面に見られる低崖が沖積段丘に連続することから、この断層が更新世後期において繰り返し活動し完新世においても断層活動があったことを示すものである。

この地域の南部、村山市富並から大林にかけての地域は、地層の露出が比較的よく山形盆地北部の断層活動に関わる地質構造について多くの資料が収集された。特に、大林南部の泥沢川では、更新世後期に堆積したと考えられる砂礫層に中新世〜鮮新世の砂岩が乗り上げる低角逆断層が確認された(図5−3−27写真5−3−16)。また、これより東側の地域では地層の大きな食違いや大きな累積変位をもつ地質構造は見られず、空中写真判読などで確認される変位地形の累積変位は大規模ではないと考えられることから、大林付近で観察される断層面とその延長を山形盆地北部の最も大きな断層として評価した。

しかし、泥沢川で確認された断層露頭において下盤側の堆積物中の試料から得られた年代値が>48,150y.B.P.(A.M.S.)であり、正確な段丘面の形成時期を求めることができなかった。従って、この断層の正確な平均変位速度は求めることはできない。これに対して断層の北部延長にあたる富並付近では、雁行・並列する断層崖は低位段丘U面を最前縁部で6〜8m、この背後で2m程度、山地と段丘の境界付近で4m程度の比高をもっている。

このことから、山形盆地北部の断層は低位段丘U面形成後、最大で14m程度の変位量があり低位段丘U面の形成時期を約20,000年前とすれば0.7m/1,000年の平均変位速度をもつことになる。

また、沼沢川で確認された断層は、大石田町横山地区において沖積段丘に低崖を形成している断層に連続する可能性があるが、富並−大林−白鳥の区間では沖積段丘や低位段丘V面に明瞭な崖地形が観察されず、みかの瀬橋南側に見られる低位段丘V面に段差が観察される。この段差によって認識されるリニアメントでは、段丘堆積物の下位に見られる中新世の地層から判断される地質構造から更新世後期の累積変位は決して大きくないと考えられ(図5−3−25)、断層が分岐・並列しているために断層活動位置の分散や移動などが起っている可能性が考えられる。

村山市白鳥から長善寺にかけての地域では、山地から分離した丘陵となっている北山丘陵の前縁部に地層の急傾斜や段丘面の傾斜が確認され断層活動による更新世後期の累積変位が確認された。この断層の南部延長上では低位段丘U面に低崖が観察される。長善寺地区では、後述する湯野沢地区にも明瞭な断層変位が観察され、長善寺の東側に分布する低位段丘T面にも段丘面の逆傾斜が観察され、これらの地域における低位段丘T面の累積変位は盆地北部の最大値を示す可能性がある。