(2)子撫川以南の地域

小矢部川支流の渋江川沿いには、新第三系に北東に開く半ベーズン状構造が存在する(1/50,000城端図幅:1964)。調査地域はこの半ベーズン状構造の西半分に当たる。調査地で見るかぎり、この構造の軸部(向斜構造)にはゆるく傾斜する大桑砂岩層・埴生累層(桜町礫層相当層)が侵食段丘面(U面群・V面群)上に直接露出している。

この半ベーズン状構造は、埴生累層の石動砂泥互層相当層が20度程度にまで変形させられている所があるところから、同互層の形成後まで影響を与えていると考えられる。

この構造の西翼部をなすのが、大桑砂岩層及びその下位層の変形と同程度の変形を受けている埴生累層の桜町礫層相当層、松永砂泥互層である。これらの地層は平野へ向けて傾斜しており、その傾斜角は南方で減少する。リニアメントBはこれらの地層の分布域(丘陵T)の東縁に位置する東向きの急崖で認定されているが、南部は傾斜変換部に連続する。

リニアメントBに近接したO−2901(写真3−3−80写真3−3−81写真3−3−82写真3−3−83写真3−3−84)において、東へ傾斜する大桑砂岩層をひきずりを残さず高角度で切る平野側上り(東側上がり)約5mのN30゚E/70゚Wの断層が認められる。この断層は面が癒着していることから、この活動は古いと考えられ大桑層が東傾斜した際あるいはその直後に平野側上りで形成されたと想定する。

この地層の変形と癒着した断層とは北へプランジする半ベーズン状構造の形成に伴うものと考える。即ち、東西圧縮により、半ベーズン構造が形成される際、リニアメントB以西では東へ急斜し、N30゚E/70〜80゚W系の西落ちの断層が生じ、その後 面が癒着したと考えられ、リニアメントB以東では東へ20度以下の緩傾斜する地層の傾きが形成されたと考えられる。これらの変形のうち急斜する変形は埴生累層の松永砂泥互層以下に生じているが緩傾斜部分の軽微な変形は石動砂泥互層いも及んでいる。

リニアメントBは、これらの地層が急斜する変形区間の縁辺部が侵食されてできた地形であり、侵食・堆積作用の総合結果として崖地形ができ、その前面に埴生累層の石動砂泥互層が堆積を開始したと考えることが出来る。

なお、リニアメントB沿いでは、H−2719で地層の逆転が認められるが、これは変形により高角度を示す地層がクリープにより平野側に倒れ込んだ可能性が強い。

石動砂泥互層が子撫川以南ではリニアメントBの内部に入り込めていないこと、及び石動砂泥互層が20数度以内の傾きを示しているのは、半ベーズン状構造が石動砂泥互層堆積後もスピードを減じながら生長を続けていることを示唆している。

子撫川沿いに石動砂泥互層相当層がリニアメントBを横断して深く西方に入り込んでいることは、上述の半ベーズン構造の北限が子撫川以北に及んでいないことを示唆している可能性がある。

また、リニアメントBの前面のO−2502(写真3−3−85写真3−3−86写真3−3−87写真3−3−88)の石動砂泥互層相当層中に正断層(重力性断層?)が認められる(図3−3−4)。断層面は癒着しており、最近の活動は認められない。また、周囲は造成地であり、断層露頭上部の土壌は削剥されて残っていないため、いつ頃の時代の堆積物まで切っているかどうかを確認することができなかった。この断層がリニアメントBの活動によって生じたことを示唆する証拠はないが、断層であるか、地すべり性の段差であるのかを把握するまでには至っていない。テストピット掘削などで断層の下方延長を確認する必要がある。

C)子撫川以南の五郎丸川沿いの推定断層について

桜町礫層相当層の分布高度の差から、小矢部川支流である五郎丸川沿いにのびる東側隆起の断層を推定した。推定断層の西側では、桜町礫層相当層は道路面に露出、一部では大桑砂岩層が顔を出しており、両者の境界は道路面またはその下に位置する。断層の東側ではO−2604(写真3−3−89)に見られる様な大桑砂岩層の崖が続き、桜町礫層相当層との境界はO−2706(写真3−3−11)に見られる様に、この崖のさらに上方の丘陵頂部近くに位置する。

推定断層はW面群堆積物下に埋没しており、V面群、W面群には変位を与えていない。

推定断層の東側の低平な丘陵頂部においてO−2615(写真3−3−90写真3−3−91写真3−3−92)で2つの逆断層露頭と2つの正断層露頭が発見された。

この2つの逆断層露頭は北側のものがN30゚E/80゚E,南側のものがN44゚E/70゚Eで、ともに北側隆起を示している。断層面が癒着しており、松永砂泥互層相当層中の薄い砂層を北西上がり(南東下がり)に変位させ、その上方への延長は分岐しながら不明になるという共通の特徴があること、及び以下の理由から、いずれも北西上がり逆断層であると判断した。

この2つの逆断層をはさみ、その北とその南にNE方向にのびる正断層露頭がある。この2つの正断層にはさまれた約6mの区間は地溝状に落ち込んだ形態となっており、正断層は開口している。北側の正断層は南東落ち約70p、南側の正断層は約30p北西落ちとなり、両断層間のブロックは北西方向に沈み込む様に回転していることが想定される。

北側の正断層には法面下の地中で分岐する分岐断層があり、両者を合わせた落差はさらに大きくなることが予想される。

面が癒着した2つの逆断層は、この回転したブロック内に存在し、一見正断層に見える北側の断層は南東へ80度の傾斜を示している。この傾斜角にはブロックの回転運動の影響が本来の傾斜角に加算されていると考えると、南北2つの断層が逆断層となる様にブロックを逆回転させると、このブロックを10度程度以上ひき起こせば良いことになる。この程度の変形はありうると考えられる。

推定断層は東上がりであり、その東側近傍の松永砂泥互層相当層中の小断層は西上がりの高角逆断層である。この小逆断層を推定断層の分岐断層と考えると上盤側地塊の主断層(推定断層)近傍に上方に働く力が生じ、これによって小逆断層が派生し、その西方ブロックがずり上がったと考えることが出来る。

よって、この小逆断層の存在は推定断層の存在を示唆する証拠と考えられる。ただし、この断層についても、断層露頭上部は丘陵頂部付近の林道であり、新期堆積物は削剥されて残っていないため、時代論を論議するまでには至らない。

推定断層の南東のびは明瞭ではなく、五郎丸川沿いでは推定断層の存在を示唆する現象は見あたらない。よって、この推定断層はその東側の丘陵頂部の2逆断層同様に埴生累層(桜町礫層、松永砂泥互層)堆積後に生じ推定断層沿いに河谷が発達したため、リニアメントは消し去られたものと考えられる。なお、上記2逆断層露頭近傍の開口した正断層は現地形ができてから生じた若い構造であると考えられる。

なお、この推定断層は石油公団による砺波平野下の推定伏在断層とほぼ同方向で延長線上にあり、変位の向き・性状も類似しているが、反射法探査V−2測線には断層らしいギャップが認められないこと、平野下では埴生累層を切っているとは思われないことなどから、これらが同一の断層であるとは考えにくい。

d)子撫川以南のリニアメントC

リニアメントCは、西側隆起のリニアメントBにほぼ平行して、その西側に東側隆起のリニアメントとして認められる。認定根拠は傾斜変換部の連続である。また近傍には断層鞍部様尾根地形も認められる。

北部では、大桑砂岩層中の硬質な凝灰岩類の存在により崖地形として認められたが、その南方ではリニアメント近傍の大桑砂岩層はコキナ質になっており、砂山砂岩層は固結が悪く軟弱である。よって、リニアメントCは、地層の硬軟の差を反映した組織地形の可能性が強いと考えられる。