(1)子撫川以北の地域

子撫川以北では、リニアメントA以西の丘陵Tは、宝達山を中心にするドーム状構造の周辺部に相当し、ここに分布する新第三系はほぼ北東・南西の走向と南東へ60度以上急傾斜する構造を示す。この構造の東縁部に位置するのがリニアメントA(A−1,A−3,A−4)であり、新第三系が垂直あるいはそれに近似した南東傾斜を示す部分に相当する。

A−1の北東端はF−2808(写真3−3−75写真3−3−76)で示される様な開口部の近傍の崖地形で終わる。開口部は埴生累層の石動砂泥互層相当層基底部分の堆積物によって埋積されている。よってこの開口部は石動砂泥互層相当層堆積前ないし堆積初期に形成されたと考えられる。開口部の成因はA−1に沿い開口を示唆する様な凹地形が存在することから、リニアメントAの活動によるものと考えることができる。

新第三系の変形帯は子撫川左岸に沿って西方に湾曲して伸びるが、丘陵Tに分布する地層は傾斜角を減じる。矢波近辺では、本調査地に露出する最古の地質である沢川凝灰岩砂岩泥岩互層は、南へ50度前後に傾いている。子撫川左岸では、硬質の沢川凝灰岩砂岩泥岩互層とその南に分布する軟質の高窪泥岩層との間に不鮮明なリニアメントが認められる。しかし、これは地層の硬軟の差を反映した組織地形と判断し、活断層を示唆するリニアメントから除外した。

なお、この境界については1/50,000石動図幅は断層と判断しているが、断層関係にあることを示す具体的証拠は見つかっていない。

リニアメントA及び子撫川の組織地形と判断される沢川凝灰岩砂岩泥岩互層と高窪泥岩層との境界の前面には、丘陵Uと判断した低平な丘陵地が分布する。この丘陵Uには、急傾斜する高窪泥岩層・頭川砂岩層・大桑砂岩層を切り込んで、あるいはこれらを覆って傾斜不整合に埴生累層(石動砂泥互層相当層)が分布するが、丘陵Tにも埴生累層(石動砂泥互層)の分布が確認されており、(西明寺川北方の尾根)、子撫川以南とは対照的である。ここでは埴生累層は薄層であり、子撫川以南に分布する桜町礫層・松永砂泥互層相当層を欠いている。なお、上野に分布する礫層で代表される様に、子撫川以北では地形面堆積物としての礫層か埴生累層を構成する礫層かの判断が困難な原因の1つとして、埴生累層が薄く礫質であることが考えられる。

以上より、子撫川以北では石動砂泥互層堆積以前は丘陵Tの縁辺部と丘陵Uは侵食にさらされていたと考えられる。また、西明寺川北方の尾根上には16゚Eの傾斜を示す石動砂泥互層の分布が認められることから、リニアメントAのうち少なくともA−3では、石動砂泥互層堆積後に東落ちの活動が生じたと判断される。

石動砂泥互層相当層で埋積された開口部分(F−2808)の東方7〜8mの位置のT面群分布地の東端の急崖でA−1が終わる。これはこの急崖が石動砂泥互層を東落ちに変位させた活動を示しており、F−2808はその活動そのものか、前駆的活動に付随して生じたのか、それ以前の活動(石動砂泥互層相当層堆積前の活動)によって生じたかは現在のところ明確でないが、A−1に沿って凹地形が存在することから前者である可能性が強いと考えられる。この2つの証拠によりリニアメントA(A−1,A−3,A−4)に沿って石動砂泥互層相当層形成中から形成後にかけ活動があったことが明らかになった。

なお、子撫川以北では子撫川以南と比較し、V面群の分布が極めて狭い。これは、小矢部川の側方侵食と小矢部川本流が供給するW面群堆積物の堆積速度とに原因があるのかもしれないが、リニアメントAの最新の活動が影響している可能性も捨てきれない。

1/50,000石動図幅(1989)によれば、同図幅内に分布する第四系は、氷見累層中の第四紀部分を加え、これらの形成時期を以下の通り6時期に分類している。

第1時期の氷見累層は鮮新世後期から継続的に堆積した浅海成層

第2期の埴生累層は湖・潟・内湾などに堆積した公算が高い砂層・礫層・泥層で、両累層は共に著しい構造変動を受けている

第3期の上田子礫・粘土層は更新世のいわゆる中期に当たる堆積物で、河成の礫層・砂層と、その上に重なった、潟・沼の堆積物らしい砂層・泥層からなり、少しの傾動と第4期の堆積物より一段進んだ開析とを受けている

第4期の堆積物は、更新世後期の顕著な海進時に浅海などに堆積し、関東地方の下末吉段丘に相当する可能性が強い中位段丘となっている窪砂層や、それと同じ頃に扇状地を形成した野寺礫層などである

第5期の堆積物は、更新世後期の、より新しい、河成の低位段丘堆積物や扇状地堆積物などと、山間の沼に堆積したらしい元女粘土層にわたっている

第6期の堆積物は、ウルム氷期最盛期以降に堆積して平地を造った、種々の河成堆積物や潟・浅海の堆積物など(沖積層)と、完新世中期以降に堆積した砂丘堆積物とである

そして、第四紀の断層に関しては、埴生累層堆積後、上田子礫・粘土層堆積前に生じたと推定できると結論している。

リニアメントAが示す石動断層の新しい活動と1/50,000石動図幅のいう第四紀の断層活動が同一だとすると、上田子礫・粘土層と埴生累層(松永砂泥互層相当層)とが同一時期の堆積物として対比される必要がある。

また、上田子礫・粘土層と子撫川以北に分布する埴生累層(石動砂泥互層)とが同一時期の堆積物として対比されるなら、1/50,000石動図幅のいう第四紀の断層活動はリニアメントBが示す石動断層の古い活動を指示していると言える。

現在のところ、上田子礫・粘土層と埴生累層との層序学的検討がなされていないため、いずれが正しいかを明示する事は不可能だが、状況証拠からは後者が正しいのではないかと推定する。