(3)石動断層

・深井三郎(1958)

「富山平野とその地形発達」

礪波平野は広大な庄川扇状地と南礪山麓複合扇状地であり、庄川扇状地の発達のために小矢部川が西に押しやられている点は、常願寺川扇状地に対する神通川の状態に似ており、石動断層帯の存在は呉羽山断層の形成と同様に、その後の地形発達を暗示するものとしている。

また、高岡水道源資料によると、高岡西部から国吉にいたる弾性波探査で、基盤第三系は地表より70m、120m、135m、160mと階段状に低下する事が確認されており、これを石動断層帯の存在によるものとしている。

・藤井昭二・小埜木加代(1967)

「富山県西部石動町地方の第四系」

小矢部市桜町以南に分布する埴生累層は、下位より桜町礫層・松永砂泥互層・石動砂泥互層の3部層に区分でき、分布地域の北半部では下部層が急傾斜をしており、上部層が水平に近くなっている(図3−1−20)。これは、松永砂泥互層が石動断層によってひきずられた結果、急傾斜になった。また、走向線図を描くと松尾付近で、走向線が収斂する。これらから石動断層の活動の時期は一応松永砂泥互層堆積中であり、石動砂泥互層は影響を受けていない。しかも断層の影響のあったのは北半部だけであったことが明らかになった。

図3−1−20  小矢部市松尾付近での埴生累層の構造(藤井・小埜木,1967)

・竃義男・三浦 静・藤井昭二(1972)

「北陸地方の海岸平野の形成過程」

富山平野(広義)の西縁を画する石動断層は、洪積世前期の埴生累層と、その下位の大桑層(上部鮮新統)とをともに変位させて急斜帯を形成し、高位礫層に相当する上田子礫層(洪積世中期)におおわれている。高清水・法林寺とあわせてこれらの断層による変動を石動変動と呼ぶ。 ・藤井昭二(1978)

「富山県西部地震(1976)と木舟城の崩壊」

1976年(昭和51年)3月に福岡町を中心にM4.5の地震が発生し、ブロック壁や墓に被害が生じた。この地震は、当地域を通る石動断層系の活動と推定されている。また1586年(天正13年)の大地震では、福岡町木舟地区にあった木舟城が倒壊し、多数の圧死者が出た。

・藤井昭二・竹村利夫(1979)

「富山県とその周辺地域の活断層」

藤井・小埜木(1967)の記述と独自の踏査により、石動断層を確実度T、NW側隆起の正断層として図示。また、以下の様に記述している。

「砺波平野の北西部を画するのが石動断層である。この段層は北東走向を持って砺波山丘陵、宝達丘陵の南東麓を走る。小矢部市松尾地区では更新世前期の埴生累層などを正断層が切り、また各層は平野へ傾斜する。小矢部市より北では断層が丘陵内へ入り込み、規模が徐々に小さくなる上、断層沿いでは小さな谷がよく発達するので、活断層としての露頭は確認しにくい。福岡町北西部から高岡市海老坂にかけての割合直線的な山麓線は、小矢部川の侵食によって形成されたものとされているが、地下の地質構造を確認しておく必要があろう。」 

・竹村利夫(1983)

「富山県の活断層」

小矢部市埴生では、埴生累層が平野側へ80゚〜90゚で傾斜し、小断層がいくつもみられると述べる共に、石動断層を長さ20qで西側隆起とし、変位面はH1〜L(更新世前期〜低位面1〜3万年前と仮定)としているが縦変位量、平均変位速度、活動度は記載していない。

・活断層研究会(1991)

「[新編]日本の活断層」

藤井・小埜木(1967)を根拠に、石動断層を確実度T、活動度B、長さ12q、埴生累層の急斜露頭と丘陵頂面の分布高度差から、NW隆起120m以上であると判断した。また、平尻山南に長さ1q、S隆起10mの逆向き低断層崖があるとした。平均変位速度については記載がない。

表3−1−2  石動断層の性状(活断層研究会,1991)

・萩田直子・足立 守・志知龍一(1997)

「ブーゲー異常から明らかになった富山県北西部の氷見断層(新称)」

富山平野のブーゲ異常から富山県北西部に氷見断層(新称)を提案したが、その中で石動断層について以下の様に述べている。

「富山平野とその周辺地域の地下構造を明らかにするために、富山県北西部の氷見市・高岡市を中心に、ほぼ1qの間隔で測定点を設置して詳細な重力測定調査と地質調査を行った。重力調査は1996年10月・11月および1997年5月に実施した。

調査から得られたブーゲー異常図の中央から南西に向かって、重力異常急変帯がみられ、これは石動断層に対応している。

石動断層は富山平野の西端を北東−南西方向に走る全長約20qの活断層で、約50万年前に活動を始め、120m以上の垂直変位をもつと考えられている。」(図3−1−21