(3)トレンチ観察結果

(a)トレンチ内の地質・層序

 トレンチは、山際から北方平野方向へ約25m掘削した(図5.2.1.4)。トレンチ内には、極浅層反射法探査で見られた山際の断層に相当する断層は存在せず、山際から北へ20mの位置に N60°E走向の短波長のバルジ(波幅約5mの背斜)、及びさらにその北約5mの位置に30°前後で南に傾斜する逆断層が確認された(図5.2.1.5)。トレンチ南端では、風化安山岩礫を含む埴生累層相当層が分布し、その上に低位段丘IV面構成層であるシルト〜砂礫層が上載する。両者はアバットの関係にあり、その境界は20〜30°で北へ傾斜してそのまま南山側斜面に連続しているように見える。また、低位段丘IV面構成層は、トレンチ北端においては、そのすぐ北を流れる西大谷川の砂礫層(低位段丘V面構成層)下部と断層で接しており、さらに砂礫層上部によって不整合に覆われている(図5.2.1.6)。

 低位段丘IV面構成層であるシルト〜礫層中には厚さ5cm前後の白色細粒火山灰(AT:姶良−丹沢火山灰)が挟まれており、バルジを形成する変形運動にいずれも参加している。特にトレンチ北端の断層近くでは、AT火山灰は、80°近く傾斜し、その直上の砂礫層、礫混じり粘土層の一部で上下逆転している。

 東城寺トレンチで確認された地層を不整合あるいは削り込みを基準に、上位からA層〜E層に区分し、埴生累層相当層をH層とした。また、各層について層相の変化が見られる場合にはそれぞれを細分した。

 以下にトレンチで確認された地層の層相を示す。

<A 層>

 現在の耕作土および客土である。

 A層は、東西側壁の10m付近よりも北側でやや厚くなっている。

 おそらく区画整理前の水田跡と思われる。

 西側側壁の10m付近には暗渠排水設置のための埋土が敷設されている。

<B 層>

 上位からB1層,B2層,B3層,B4層に区分した。いずれも安山岩礫、泥岩、砂岩礫等を含む礫層である。

 B1層とB2層はいずれも30〜40cm大の大礫を含む未固結の砂礫層であるが、B1層のマトリックスが砂質であるのに対し、B2層は基質にシルト分を多く含む。西側側壁のB2層頂面は北に向かって緩やかに傾斜している。B1,B2層はいずれも断層による変位・変形を受けておらず、トレンチ北端の東側側壁においては、B1層が下位のB4層とC層とを不整合に覆っている(図5.2.1.6)。

 B3層は東側側壁の5m付近と8m付近に狭小に分布している。B1層,B2層と比べると礫径は小さく、1〜5cm大の亜円礫を含む褐色砂礫層である。B1層,B2層との直接的な関係は不明であるが、西大谷川の流路が現在よりも南に位置していた当時の堆積物であるとし、B1層, B2層と区別した。

 B4層は、トレンチ北端東側側壁の17m以北に分布する砂礫層である。基質は、B2層と同様にB1層よりもシルト質であり、径1cm以下のシルトブロックを含んでいる。B4層は、断層による変形を受けており、断層の傾斜と平行な剪断面が確認できる。B4層とB3層とは、基質が異なる点(B4層がシルト質、B3層が砂質)で区別できるが、同時代の可能性もある。

<C 層>

 上位からC0層,C1層,C2層に区分した。C層はラミナの発達する細礫・砂・シルト・粘土からなる。

 C0層は、トレンチ両側壁の17m〜15m付近に分布する砂礫層とシルト、砂層との互層である。断層によって地層が引きずられており、上下逆転している。直上は、B1〜B2層によって不整合に覆われている。

 C1層は、砂〜シルト主体であり、細礫を含む。C2層は、砂礫〜粗粒砂であり、炭化木片を多く含む。

 C2層は、下位のD1〜D3層を削り込んで堆積している。C1,C2層ともトレンチ南端から−1〜2m付近に厚さ2m以上で狭小に存在し、それよりも北側に分布しない。C0層とC1層との関係は不明である(区分した理由は、後述する年代値の違いに基づく)。

<D 層>

 上位からD1層〜D10層までの10層に区分される。いずれも細礫混じりのシルト〜砂、および細礫、あるいは、それらの互層からなる。炭化木片を多く含む。

 D1〜D3層は、細礫混じりのシルト〜砂であり、D2層は、腐植質シルトを含む。D3層は下位のD4層にアバットしている。

 D4層は細礫・シルトによるラミナの発達する地層となっているが、細礫層はいくつかのユニットに細分が可能である。このユニットは、上下の境界が不明確となる部分が見られること、細礫優勢部分で下位層を明瞭に削り込む部分が側方に連続することが確認される。

 D5層、D6層は、シルト層〜褐色砂礫層である。それぞれトレンチの13〜15m付近のバルジの北翼のみに狭小に見られ、50〜80°で北へ急傾斜している。

 D7層、D9層は、腐植質シルトであり、D8層は白色火山灰(AT:姶良−丹沢火山灰)である。AT火山灰の堆積状況を観察すると、南側(7〜8mよりも南側)は湿地状の陸域に、北側は極浅い水面下に堆積した可能性がある。この差が地形的な違い(高度差の違い)を反映しているものであるとすれば、トレンチの7〜8mよりも南側では、北側に比べてAT堆積直前は、標高の高い位置にあったと思われる。

 D10層は細礫層からなるが、上位のD9層、下位のE1層ともに炭化物・木片を含むシルト層であり、観祭される範囲でD9層の層厚に変化はない.また、E1層は極めて細粒のシルト〜粘土層であり堆積時には双方ともほぼ水平な堆積面をもつものと考えられる。

<E 層>

 E層は上位からE1,E2,E3層に区分される。

 E1,E3層は灰色塊状の粘土層〜シルト層、E2層は細礫混じり粘土層〜シルト層である。

 E3層上部には、腐植質粘土〜シルトを含み、上位のD10層による削り込みはほとんどない。

<H 層>

 H層は、トレンチ南側側壁の下底に見られ、赤色、黄色、黒色雑多な安山岩風化礫を多く含む礫混じりシルト〜砂層である。直上のD層(D3層)中には、H層中に含まれると同種の風化安山岩礫が散在しており、D3層が再堆積した際に取り込まれたものであると思われる。

(b) イベントの解釈

 トレンチ内において、断層との関係が直接見えており、明らかにイベント境界と認定できるには、B1層とB4層境界だけである。これ以外、バルジ南翼において、段丘堆積物の変形の仕方の違いによってイベントの有無の可能性について検討した。バルジ北翼は、分布範囲が限られるため、構造差を読みとることはできなかった。

・イベント1(B4−B2境界:この地区における最新イベント)

 トレンチ東側側壁において、B4層が断層によって、変位・変形し、その上にB1層が上載している。

 B1層は変形していないため、少なくともこの間に1回はイベントが確実に存在したと見ることができる。

 トレンチ東側側壁で、B2層はB1層によって削剥され欠如しているが、西側側壁(17〜20m間)においてB1層の下位に分布しており、断層による変位・変形は見られない。したがって、イベントは、B4層の堆積よりも後、B2層の堆積よりも前となる。なお、B3層はほぼ水平に堆積しており、断層活動の影響を受けていない可能性が高い。ただし、断層から離れているため、イベント後の堆積物であるとは確実に言えない。 

・イベント2(D1−C境界)

 バルジ南翼に分布するC層とそれを覆うD層との間に不整合が認められる。両者に地層の傾斜に明らかな差は認められないが、不整合の形成に断層活動が関わっていた可能性は排除できないため、この不整合境界を仮にイベント2とした。

・イベント3(D4−D3境界)

 不整合関係にあるD4層とD3層の間にはわずかではあるが、傾斜の差を読み取ることができる。D4層は南傾斜、一方、D3層は、水平かわずかに北傾斜であり、D4層の上にD3層がアバットしている。両者間の構造差は小さく確実とはいえないが、D4層が砂礫、シルト〜砂、D3層がシルト主体層であることを考えると、堆積環境の変化を伴い、これが断層活動の結果である可能性はイベント2、4などよりは高い。この不整合境界を仮にイベント3とした。

・イベント4(D7−D4境界)

 D4層は全体としては、下位のAT火山灰を含むD7〜D9層を削り込んでいるが、削り込みの量はさほど大きなものではなく、D4層の基底はAT火山灰の堆積面とほぼ平行な関係にあるように見える。ただし、D4層のラミナやユニットごとの削り込みやこの連続から判断して、この地層は堆積以前の凹地もしくは小規模な谷地形を埋積したと判断される。即ち、D4層堆積よりも前、D7〜D9層堆積後にすでにバルジ形成に伴う背後(南側)の凹地が形成していた可能性がある。したがって、この間の不整合が断層活動の結果である可能性は小さいが、仮にこの境界をイベント4とした。

・イベント5(E1−D10境界)

 E1層は、細粒の砂〜シルト主体層であり、堆積当時水平に近い構造を持っていたと思われる。一方、D10層は、西側側壁の6〜13m付近で見る限るではE3層をあまり削り込んでいないのにもかかわらず、北に向かって厚さを増している。即ちD10層の堆積よりも前にE3層が変形していた可能性が残される。したがって、それがイベントである可能性は低い。E1層とD10層との不整合境界を仮にイベント5とした。

 以上、イベント2〜イベント5は、不整合の存在により指示されるものであるが、不整合の上下の地層に明らかな構造差があるわけではなく、いずれも確実度は低い。