(1)法林寺断層
図3.4.1に法林寺断層周辺の地質平面図を示す。
<地質各説>
・医王山火山岩層I,II(Il,Iu)
5万分の1地質図幅「城端」(井上ほか,1964)によれば、本層は主に流紋岩およびそれらの凝灰角礫岩からなるとされ、地域南部の医王山を中心とした地域に分布するとしている。調査範囲では流紋岩の角礫を含んだ凝灰角礫岩として確認されている。また、5万分の1図幅には福光町香城寺から小二又にかけての地域に崖錐堆積物が分布するとされているが、これらの多くは流紋岩角礫を含む凝灰角礫岩であり、医王山層の一部に含めている。
・砂子坂凝灰岩互層(St)
井上ほか(1964)によれば全体に凝灰質の中〜粗粒砂岩からなり、まれに凝灰質泥岩を伴うとされる。調査範囲では固結した砂岩が確認されたのみであり、詳細については不明である。
・土山凝灰岩層(上部,中部,下部)(Tl,Tm,Tu)
井上ほか(1964)によれば本層は上部,中部,下部に分かれ、下部は凝灰質の軽石質粗粒砂岩を主体とし、流紋岩質凝灰角礫岩や凝灰質泥岩を挟む。中部は塊状の凝灰質泥岩からなるとされる。上部は粗粒砂岩を主体とし細粒凝灰岩をともない砂岩には軽石や細礫が含まれる。調査範囲では福光町坂本の西方や舘付近で確認されたが、上部は比較的細粒の砂やシルト層を多く挟み全体に泥質もしくは凝灰質泥岩と砂岩の互層となっている。
・御峯泥岩層(Md)
井上ほか(1964)によれば青灰色の塊状砂質泥岩からなり、まれに白色凝灰岩や石灰質ノジュールを含むとされる。調査範囲では福光町法林寺〜舘付近にかけて確認される。一部に貝化石や石灰質ノジュールが含まれ、不明瞭なラミナを持つ砂・泥互層となっている部分もあるが全体には塊状の砂質泥岩となっている。
・蔵原砂岩層(Ks)
井上ほか(1964)によれば、安山岩質の中〜粗粒砂岩からなり、上部は細粒となっているが全体には淘汰が悪く軽石粒を多量に含みクロスラミナが発達するとされる。調査範囲では福光町法林寺付近から桑山付近に分布し、細礫を伴う粗粒砂岩やシルト・細粒砂層を挟む粗粒砂岩が存在する。
・高窪泥岩層(Td)
井上ほか(1964)によれば、全体に砂質泥岩であり植物片・木片・細礫などを含む場合があるとされる。調査範囲では福光町岩木付近から福野町安居付近にかけて分布するが、細粒砂岩もしくはシルトと凝灰質砂岩の互層となっている場合がほとんどである。また、比較的粗粒な軽石粒を含む凝灰質砂岩となる部分もあり全体に粗粒となっている。
・氷見累層(Hm)
井上ほか(1964)によれば最下部を除いておもに砂岩からなる。クロスラミナが発達し細礫を伴うことが多いとされる。調査範囲では福野町安居付近に分布し、軽石や細礫混じりの細粒〜粗粒砂岩である。
・高位砂礫層(Hc)
井上ほか(1964)によれば主に砂礫からなり、粘土層もまれに挟まれるとされる。調査範囲では福野町興法寺の西側丘陵地に分布が確認された。円〜亜円礫を含む砂礫層または細礫混じり粗粒〜極粗粒砂となっている。
・低位段丘I,III面堆積物(I、III)
この段丘面は北部の興法寺および南部の香城寺・広谷付近に分布するに過ぎないが、興法寺付近では細粒砂を挟む淘汰の良い礫層が確認されている。
・低位段丘IV面堆積物(IV)
段丘面は断層沿いの地域に断片的に分布するが、南部の香城寺付近では扇状地状に広がっており、比較的連続性がよい。堆積物は比較的粒径の小さい礫で構成されるが堆積物全体の層相については未確認である。
・低位段丘V面堆積物(V)
断層沿いに北部から南部まで連続よく分布している。堆積物はシルト・砂層を挟む砂礫層からなる。
(2)高清水断層
図3.4.2に高清水断層周辺の地質平面図を示す。
<地質各説>
・岩稲累層(IW)
5万分の1地質図幅「城端」(井上ほか,1964)によれば、本累層は庄川と砺波平野の間の山地を形成するものであり、安山岩の溶岩・凝灰角礫岩・火山円礫岩・凝灰岩からなるとされる。調査地域では高清水断層の南東側に分布しており、確認された限りでは、安山岩の角礫を含む凝灰角礫岩が優勢であり一部で安山岩溶岩も確認される。
・医王山火山岩層(Io)
井上、他(1964)によれば、おもに流紋岩およびそれらの凝灰角礫岩からなるとされ、高清水断層東の丘陵地に分布するとされている。調査地域で確認された本層は、流紋岩およびそれらの凝灰角礫岩および凝灰岩であり、その分布は、丘陵地西縁、及び赤祖父池周辺に限られる。昨年度(平成10年度)の調査では、丘陵地全域に広く分布しているとしていたが、沢底に分布する凝灰質砂岩、シルト岩としていたものの多くは埴生累層相当層(H)として本層とは区別できることがわかったことから、両者を区別した。
・埴生累層相当層(H)
凝灰質砂層、シルト層、及び円礫混じりの礫層と凝灰角礫岩起源の砂層の互層となっている場合が多い。しかし、含まれる礫は安山岩起源のものが比較的多く、岩稲累層起源であると思われる。
本層は、高清水断層東側の丘陵地に広く分布しており、赤祖父池北の土取場の露頭では、厚さ10−30cmの白色火山灰が凝灰角礫岩起源の砂層,及び砂礫層の間に挟まれている。この火山灰は、繊維状のパミスタイプの火山ガラス、斜方輝石を含み緑色角閃石、アパタイト、黒雲母を少量伴い、ジルコンのFT年代は0.3±0.1Maである(巻末資料参照)。埴生累層は、植物化石等から呉羽礫層に対比されており、およそ50−70万年前(藤井ほか,1992)とされており、当地域に分布するこれらの堆積物を一応,埴生累層相当層(仮称)とした。
本層と下位の岩稲累層(IW)および医王山火山岩層(Io)との関係については、直接観察できる露頭がなく、埴生累層相当層の分布についても、丘陵東縁については調査不十分のところもある。しかし,昨年度(H10年度)までの調査で医王山火山岩層(Io)としていた凝灰質砂岩、シルト岩は、円礫を含む砂礫層と互層していることや、凝灰質砂岩としていたものがほとんど安山岩質(岩稲累層起源堆積物)であり、流紋岩質ものもがないことなどから、これらについては本層に含めることとした。
・高位段丘面堆積物(h)
高清水断層の連続する庄川町から城端町の南東側の丘陵地には、わずかに高位段丘が分布している。しかし、この段丘面の分布は極めて断片的であり、面の連続性は良くない。堆積物も従来詳細な報告が行われていない。ここでは、やや風化した円〜亜円礫から構成され、礫径は比較的大きい。
堆積累層最上部に対比される可能性がある。
・中位段丘面堆積物(M)
城端町細野付近や大谷島付近に分布が認められるが、堆積物は確認されず詳細については不明である。
・低位段丘I,II面堆積物(I、II)
城端町蓑谷付近から城端市街地にかけて広く分布が認められる。堆積物は山際では巨礫優勢の砂礫層であるがマトリックスは比較的細粒でシルトの薄層が挟まれる場合もある。これに対して平野部では、礫径が小さくシルト・細粒砂が堆積している。時代は不明である。
・低位段丘III面堆積物(III)
段丘面は庄川町南部、井波町市街地南側に分布する。また赤祖父池周辺にも比較的連続よく分布している。堆積物は下部もしくは基底に巨礫を含む砂礫層が5m以上の厚さをもって堆積しており上部にはシルト・細礫・ローム質シルトや泥炭層など比較的細粒の堆積物が認めらる。庄川町南部のLd32地点(平成10年度報告書参照)では上位のシルト層中に火山灰層が確認され、この火山灰層中には特徴的な角閃石・輝石が含まれることから大山起源の火山灰層に対比され、低位段丘III面の時代は5万年前後と判断される。
・低位段丘IV面堆積物(IV)
高清水断層の北西側に広く分布し一部では断層を横断して分布している。堆積物は山際では巨礫優勢の砂礫層であるがマトリックスは比較的細粒でシルトの薄層が挟まれる場合もある。これに対して平野部では、礫径が小さくシルト・細粒砂が堆積している。また、平野部に位置するLd39,40地点やIw125地点(平成10年度報告書参照)では堆積物中に白色〜灰白色のガラス質火山灰が確認されており、この火山灰は分析の結果、姶良−丹沢火山灰(AT;24,000yrBP)と同定され、この段丘面の段丘化の時期が最終氷期最盛期にあたるものと判断される。
・低位段丘V面堆積物(V)
庄川の左岸に広く分布する。堆積物は巨礫を含む砂礫層となっている。