3−2−2 活動履歴

トレンチ調査によるイベント解析が実施できないため、最終活動時期の把握は行うことができなかった。また、ボーリング調査において年代を測定できるような鍵層が少ないため、再来間隔などの性状も把握することはできなかった。

〔平均変位速度〕

 平均変位速度については以下の理由から求めた(図3−2−3)。

@呉羽山礫層上部の桃色凝灰岩がフィッショントラック法年代測定により63万年前という値が得られている。ボーリング調査および試料分析・年代測定の結果より、くさり礫が見られるような砂礫層は高位段丘相当(洪積世中期:40〜50万年前程度)と考えられる。桃色凝灰岩が確認されていないため詳細は分からないが、A孔で得られた熱ルミネッセンス年代測定結果より堆積物の平均堆積速度を算出し、フィッショントラックで得られた年代値に相当する地層がA孔のどのあたりの深度に相当するのかを推定すると、標高−175m付近(深度186m付近)となる。一方、呉羽山礫層が下位の西富山層などと平行に堆積したと想定し、現在桃色凝灰岩を背斜構造に沿った形で断層面付近に持ってくると、標高0m付近で断層面に当たる。この標高と前述の標高−175mの標高差175mが断層の垂直変位量と考えることができる。実際の変位量を見積もるためには断層面に沿った変位量で評価する必要がある。呉羽山断層は縦ずれセンスのスリッケンサイドが多く認められており、横ずれセンスのものは認められていないため、断層面に沿った変位は60度程度の傾斜と考えた場合は202mとなる。したがって、平均変位速度は0.32m/千年となる。

AB・D孔で確認された粘土層は放射性炭素年代測定により約7000年前に堆積したことがわかった。ボーリング調査の結果、粘土層の上面は約2.5m、底面は約1m標高差があり、いずれも下盤側のD孔で上面・底面の標高が低いことがわかった。

 粘土層は砂礫層に比べ穏やかな環境下で堆積することが考えられるため、侵食を考慮に入れなければ鉛直で約2.5m、断層面に沿っては約2.9mずれていることとなる。断層がいつ活動したかは明らかではないが少なくとも7000年前以降に動いているわけであり、最低でも0.41m/千年の平均変位速度があるものと考えられる。

 また、底面を基準に考えた場合、鉛直で約1m、断層面に沿っては約1.2mであり、これで考えれば0.16m/千年ということができる。

B地質踏査及び試料分析の結果、境野新扇状地は約46000年以降、約25000年前までにその流路がたたれている可能性が示唆された。境野新付近での段丘面の勾配がやや緩くなっているように思われ、何らかの変形が約46000年以降、約25000年前までの間に発生し、流路が変わったことが考えられる。仮にこの変形が断層による変位と仮定した場合、10m程度の変位が考えられるため、これに基づき平均変位速度を算出すると、0.22〜0.40m/千年程度となる。

 これらの結果より、呉羽山断層の平均変位速度は0.16〜0.41m/千年であり、活動度の区分でいうところのB級程度と考えられる。

〔最終活動時期〕

 トレンチ調査が行えなかったため、詳細を把握することはできなかった。

 反射法探査、ボーリング調査、年代測定により、約7000年前の粘土層に変位があることがわかっているが、約7000年前以降現在までの間、いつ変位が生じたのか、何度起こっているのかなどは不明である。

 呉羽山断層については、歴史地震の記録はない(後述)。1668年に放生津付近で被害の記録があるが、呉羽山断層との関連は明らかではない。

 その他のイベントについては、傍証データではあるが、境野新扇状地の扇頂部では火山灰分析よりDKP堆積以降、AT堆積以前に射水平野側から現在の富山平野側へ流路が変わっていることがわかった。また中位段丘面が境野新〜平岡にかけて見える直線的な溝状地形を挟んで傾斜方向が変わっており、北西側は射水平野側へ、南東側は富山平野側へ傾斜している。この中位段丘面の変形が断層の活動に伴う変形と考え、また、この変形に伴って流路が変わったと考えると、少なくとも45,000年〜25,000年前の間に一つのイベントがあったと考えることができる。