2−1−3 踏査結果

呉羽丘陵を中心に、地形および地表露頭を観察し、ルートマップにまとめ、地質平面図を作成した。付図2−1−2、付図2−1−3、付図2−1−4、付図2−1−5、付図2−1−6にルートマップを、付図2−1−7および図2−1−3に地質平面図を、図2−1−4−1図2−1−4−2に地質断面図を示す。また、観察した露頭毎に露頭観察カードを作成し、露頭単位での簡易柱状図もあわせて作成した。これらの結果を別冊資料に示す。表2−1−2 層序表

以下に各地層について記載する。

1)第三紀層

@平林砂岩層(Hs)

 調査地南東方、婦中町三屋地内の丘の夢牧場の西方の山田川右岸の山腹に露出する。

 本層は黄褐色を呈する中粒砂岩からなり、全体的に塊状均質な岩質を示す。本層は厚さ約1mの白色凝灰岩層および礫岩層を挟在する。礫岩は平均径2〜5cmの円礫(安山岩・デイサイト・砂岩起源が多い)からなる(露頭番号: 140)。

 また、婦中町千里地内の常楽寺から標高 173.2mの三角点に通じる林道の標高 130m付近でも礫岩層(安山岩・デイサイト起源が多い)が分布し、見掛け上急傾斜した軽石質粗粒砂層を挟在する(露頭番号: 139)。

A三田砂岩層(Ms)

 丘の夢牧場の南の、婦中町千里から上瀬へ抜ける県道沿いに露出する。

 本層は黄褐色を呈する中〜粗粒砂岩からなり、ややラミナが発達する。本層は厚さ約3mの礫岩層を挟在する。礫岩は平均径3〜5cm、10〜15cmの円〜亜円礫(チャート、石英斑岩、デイサイト起源が多い)からなり、礫は比較的新鮮である(露頭番号: 141,142)。

 本層は未固結でハンマーピックで掘れるが、第四紀層に比べて締まっている。

B西富山砂岩層(Ns)

 JR高山本線西富山駅周辺から上友坂にかけた呉羽丘陵南東面の崖に露出する。

青灰〜黄褐色を呈する細〜中粒砂岩からなり、全体的には塊状、均質な岩質を示すが、平均径2〜5cmの円〜亜円礫層(デイサイト・安山岩起源が多い)を層状ないしレンズ状に挟在する場合がある(露頭番号:32)。また、富山市寺町のけやき台公園脇の露頭では厚さ約50cm、平均径1〜2cmの角〜亜角礫(花崗岩類・安山岩・泥岩起源が多い)からなる礫層を挟在する(露頭番号:34)。

 富山大学学生寮から朝日滝にかけてはシルト質砂岩あるいは黒雲母などの有色鉱物を含む細〜中粒凝灰質砂岩が分布する。

呉羽丘陵の旧国道8号線付近・けやき台公園・上友坂には、軽石に富む淡紅灰〜白濁色の軽石質凝灰岩が分布する(露頭番号:32,33,34,104)。本岩は西富山砂岩層の上部層に対比される。

本層は未固結でハンマーピックで掘れるが、第四紀層に比べ締まっている。

 下限は不明で、上位の安養坊砂岩泥岩互層との境界は確認できなかった。

C安養坊砂岩泥岩互層(Aal)

 民俗民芸村・陶芸館の切割周辺(露頭番号: 13,14,15,17)および天文台下の露頭(露頭番号: 21,22)で確認できた。また、朝日滝上流から富山市ファミリーパーク付近にも分布する(露頭番号: 83,87,88,89)。

 本層は、幅 5〜40cmオーダーの砂岩泥岩互層であるがシルトに富んでいる。未固結でハンマーピックで掘れるが、第四紀層に比べ締まっている。砂質部は赤褐〜灰褐色の細〜中粒で、見掛け下位に向かって粒度が粗くなる。泥質部は紫がかった灰褐色の凝灰質である。天文台下の露頭では泥岩の一部が偽礫状に分布する(露頭番号:22)。また、その上部には軽石をパッチ状に含むシルト岩と細粒砂岩および径1〜3cmの円〜亜円礫からなる礫岩が分布する(露頭番号:21)。本岩は安養坊砂岩泥岩互層の最上部に対比される。

 下位の西富山砂岩層との境界は確認できなかった。また、上位の長慶寺砂岩層との境界は漸移しているため不明瞭である。したがって、長慶寺層との境界は、シルトに富む地層とした。

D長慶寺砂岩層(Cs)

 民俗民芸村周辺(露頭番号:9,10,12,16,18,19)および上友坂から小長沢にかけた段丘面の南東崖で確認できた(露頭番号: 104,110,111−1)。

 本層は未固結の細〜中粒の塊状砂からなり、平均径2〜5cm、 0.5〜1cmの円〜亜円礫(火山岩・泥岩起源が多い。また、一部花崗岩・安山岩礫も分布する)からなる礫層を挟在する(露頭番号: 9,10,12)。

 上位の呉羽山礫層とは不整合の関係にあり、露頭で確認できた(露頭番号:10,18,19)。ここでは不整合面はシャープな直線上をなしている。特に、長慶寺駐車場上部では呉羽山礫層と長慶寺層の礫岩層の境界が見られ、両者には弱い成層構造が認められる。前者の成層構造は、見掛け上水平であるが、後者は傾斜する(露頭番号:10)。

2)第四紀層

 第四紀層については、岩相がきわめて類似していることと露出不良のため、野外でその地層名を決定することは困難であるが、以下に述べる呉羽山礫層中の凝灰岩・北代砂層・呉羽火砕岩層はその岩相上の特徴から容易に識別することは可能であり、査範囲内の第四紀層の中では鍵層となりうると考えられる。

@呉羽山礫層(Kg)

 呉羽丘陵では、北部で丘陵の南東面の崖の上部に、南部では丘陵の西斜面に露出する。また、富山簡易保険センター周辺および丘の夢牧場付近に分布する。

 本層は未固結の砂礫層で、個々の礫はハンマーで容易に掘り出せる。径3〜10cmの円〜亜円礫を主体とし、最大径20〜30cmの礫も認められる。礫種は花崗岩類・安山岩・石英斑岩・チャート・砂岩・泥岩で、安山岩礫は強風化している場合が多い(クサリ礫)。基質は黄褐〜褐色の中〜粗粒砂で、淘汰は普通悪く、インブリケーションや成層構造が認められることがある(露頭番号:27)。

 一般的に60〜70%の礫率を示すが、部分的に基質に富み、粗粒砂〜シルトを挟在する場合がある(露頭番号:43,136,137,144,145)。また、旧国道8号線付近では、薄層の青灰色を呈する凝灰質シルト層を挟在する(露頭番号:57)。

 丘の夢牧場の低標高部(EL.100m以下、露頭番号:119〜135)は礫のくさりの程度が低く、砂層が厚く分布しているため、呉羽山礫層とは別の、高位段丘相当の堆積物の可能性もある。

・呉羽山礫層中の桃色凝灰岩(Pt)

 主に呉羽丘陵のテレビ塔周辺に分布する。

 新鮮な部分では桃灰〜淡赤褐色を呈するが、風化が著しいと赤褐〜赤色を呈する。

凝灰質に富む部分と乏しい部分とが1〜3cmオーダーで細互層し、赤と灰褐色の縞状構造をなす場合がある(露頭番号: 43,48,140)。

 粒度が細かいと粘土質に、粗いと砂状となるが、粘土質な部分でもφ1〜3mmの石英粒子を含む。また、黒雲母を含む場合もある(露頭番号:48)。この凝灰岩については、後述するが、フィッショントラック年代測定を行っており、63±6万年という年代値が得られている。

A峠茶屋礫砂泥互層(Tal)

 呉羽丘陵の西側緩斜面に分布しているが、露出は不良である(露頭番号:3,5,6,29,79 )。

 JR呉羽山トンネル直上より約 100m南西側の露頭(露頭番号: 6)では径2〜3cm、最大20cmの円〜亜円礫(石英斑岩・砂岩起源が多い)を主体とし、基質は風化のため褐色粘土化している。礫は約50%を占める。淘汰は悪い。また、約 200m北側の露頭(露頭番号: 3)では、径3〜5cm、最大10〜15cmの円〜亜円礫(花崗岩類・チャート起源が多い)を混じえる軽石質シルト〜細粒砂が北代砂層に整合に覆われている。旧国道8号線の上部では下位の呉羽山礫層を不整合に覆う灰色の細粒砂層が分布する。本層は径5〜10cmの亜円〜亜角礫(デイサイト起源が多い)からなる礫層をレンズ状に挟在する(露頭番号:29)。

 呉羽少年自然の家の北東側では、本層(シルト・砂互層)が呉羽火砕岩層に覆われている(露頭番号:79)。

B北代砂層(Ks)

 長岡墓地周辺(露頭番号:1〜4)および射水平野(露頭番号: 25,26)の露頭で確認できた。また、富山医科薬科大学周辺(露頭番号:95〜98)でも分布する。

 本層は中〜粗粒の未固結砂層で、ラミナが発達し、新鮮な部分では暗紫灰〜暗灰色を呈する。石英・長石粒子のほか多量の黒雲母などの有色鉱物粒子に富み、安山岩質の岩片を含む。

 射水平野では、本層と呉羽火砕岩層は互層状に分布する(同時異相)。また、薄層のシルト層を挟在し、境界部では炭質物が認められる。

 呉羽少年自然の家周辺(露頭番号:63,80,81)では、安山岩礫を混じえる砂〜粘土層が分布し、礫種から北代砂層あるいは呉羽火砕岩層と考えられる。しかし、峠茶屋層に分類される可能性もある。

 富山医科薬科大学周辺では、主に安山岩礫(径1〜3cm、3〜5cm)を混じえる粗粒砂が分布し、友坂段丘礫層に覆われる(露頭番号: 97,98)。

C呉羽火砕岩層(Kpy)

 主に、射水平野の地形の高まり(露頭番号:24,25,26)および呉羽少年自然の家周辺(露頭番号:79)に分布する。

 本層は安山岩質岩片を多量に含む火砕岩である。淡青灰〜灰色を呈し、ほぼ水平なラミナが見られるが級化構造は認められない。厚さ1〜3cmのガラスに富む層を挟在する。また、炭化木片を含む(露頭番号:25)。

 富山医科薬科大学の県道68号線切割(露頭番号: 104)では、第三紀層の西富山砂岩層を不整合に覆い、友坂段丘礫層に不整合に覆われている(友坂の二重不整合)。

D友坂段丘礫層(Tg)

 富山医科薬科大学周辺に分布する(露頭番号: 97,98,104,105,106)。

 富山医科薬科大学の県道68号線切割では(露頭番号: 104)、第三紀層の西富山砂岩層上部層(軽石質凝灰岩)・長慶寺砂岩層および呉羽火砕岩層を水平に覆っている。

 本層は径10〜20cm(最大30cm)の円〜亜円礫を主体とし、基質は褐色の粗粒砂である。礫種は安山岩を主体とし、片麻岩・斑レイ岩・閃緑岩等が認められ、ほぼ水平な成層構造と弱いインブリケーションが認められる。

E中位段丘礫層(g2)

 上友坂から下邑にかけての南東面の崖(露頭番号:108〜118)に分布する。

 本層は径5〜10cm,10〜20cmの円〜亜円礫を主体とし、最大径20〜30cmの礫も認められる。基質は、ルーズな黄褐〜褐色を呈する中〜粗粒砂である。礫種は花崗岩類・斑レイ岩・片麻岩礫が多く認められ、安山岩・デイサイト礫は少なく、ほぼ水平な成層構造と弱いインブリケーションが認められる。礫は新鮮なものが多く、礫率は70〜80%を示すが、厚さ10〜50cmの中〜粗粒砂層および細礫混じり青灰色粘土層を挟在する場合がある(露頭番号: 114,116)。また、友坂(厚さ1〜2m)から下邑(厚さ30m)へと南に向かって層厚が厚くなる傾向にある。

F境野新扇状地礫層(Sg)

 境野新、平岡付近から射水平野にかけて分布する。

 本層は主に花崗岩・片麻岩礫からなる礫層であるが、緩い地形で浸食された断面の露出は少ない。西押川の北陸自動車道脇の墓地周辺の低段丘崖の露頭で、火山灰分析の試料を採取し、広域テフラのAT(姶良Tnテフラ:約25,000年前)、DKP(大山倉吉テフラ:約46,000年前)が段丘面上に分布することが確認された(後述)。DKPが堆積した時代は、既存文献による富山周辺の地形面区分でいうと中位段丘面に相当し、境野新扇状地礫層が中位段丘面相当ないしそれより古い時代に形成されたことを示している。

 

(2)地層の走向・傾斜、断層について

 1)第三紀層

・民俗民芸村周辺の層理面

  安養坊砂岩泥岩互層

N53゚E・50゚N/N57゚E・52゚N/N61゚E・50゚N,N63゚E・60゚N,N45゚E・48゚N/N23゚E・40゚W,N43゚E・48゚W,N43゚E・40゚N

長慶寺砂岩層

N89゚W・30゚N,N53゚E・50゚N,N51゚E・32゚N,N25゚E・54゚W,N47゚E・54゚N

・城山周辺の層理面 

  西富山砂岩層

N73゚E・32゚N,N77゚W・53゚N,N87゚W・35゚N/N85゚W・42゚N/N67゚W・42N

    平均はEW・32〜53゚N

・呉羽トンネル周辺の層理面

  安養坊砂岩泥岩互層

    N37゚E・20゚W

・医薬大周辺の層理面

  西富山砂岩層

    N23゚E・52゚W

  長慶寺砂岩層

    N21゚E・12゚W

・丘の夢牧場周辺の層理面

  平林砂岩層

    N15゚E・32゚E

  三田砂岩層

    N15゚W・32゚E,N77゚W・20゚S

 データが豊富にある民族民芸村周辺の第三紀層の層理面は、ほぼ急崖方向に平行で40〜60゚N の急傾斜を示す。城山周辺の第三紀層の層理面は、急崖方向と斜交し、傾斜も32〜53゚N とやや緩くなり、呉羽山トンネルから丘の夢牧場にかけては、ほぼ急崖方向に平行で12〜32゚W と緩くなる。

 呉羽山丘陵全体的な構造としては、富山市寺町付近で呉羽山丘陵が北西側へ膨らむような半ドーム構造をなしているように思われる。

 2)第四紀層

 呉羽山礫層・峠茶屋礫砂泥互層・北代砂層・呉羽火砕岩層の走向・傾斜は北東〜東西・ 0〜20度北傾斜であるが、長岡墓地周辺、旧国道8号線の呉羽丘陵切割付近および呉羽少年自然の家では20〜40度北傾斜を示す(露頭番号: 3,31,57,79)。

 友坂段丘礫層は、礫の配列等から 0〜10度北傾斜を示す。

 中位段丘礫層は、礫層に挟在されるシルト〜砂層から北東〜東西・ 0〜10度北傾斜を示す。

 また、丘の夢牧場に見られる呉羽山礫層(〜高位段丘礫層?)は20〜30度東傾斜を示している。

3)断層について

 今回の調査では、呉羽山断層そのものを示すような露頭は確認できず、小規模な断層が8箇所の露頭で認められた(露頭番号:3,12,13,14,48,79,83,127)。また、呉羽山断層とはややセンスが違うが、呉羽山礫層(〜高位段丘礫層)を切る、やや規模の大きな断層が丘の夢牧場付近において認められた。この部分は既存の文献・資料には一切記載がなく、今回の調査による記載が初めてである。表2−1−3に断層の一覧表を、図2−1−5−1図2−1−5−2図2−1−6−1図2−1−6−2図2−1−6−3図2−1−6−4に丘の夢牧場で見られた断層露頭のスケッチを示す。

 4)変位地形について

空中写真判読で認められた安養坊付近のリニアメント(鞍部地形の連続、離れ山様の地形)は表土が厚く、露頭も少ないため断層による地形かどうかは確認できなかった。宇井ほか(1994)による「断層露頭」は追認できたが、急傾斜する安養坊砂泥互層の層理面と同方向であり、単なる地層境界である可能性もある。

 また、空中写真判読と同様、富山市側の沖積平野では変位地形は認められなかった。