(1)調査開始時点における関ヶ原断層帯のほぼ判明している事項

1) 分布

杉山ほか(1994)では、各断層の分布は以下のように記載及び図示されている。

@鍛冶屋断層

空中写真判読による河谷と尾根の系統的な左ずれ屈曲・小さな鞍部の連続と踏査による中・古生層(美濃帯)中の断層破砕帯の確認により、西北西〜東南東方向に連続する一条の断層として分布が示されている。西側部分は、沖積層下の伏在部及び山地部の推定断層して示されている。浅井町鍛冶屋付近で中・古生層(美濃帯)中に幅50cmの断層破砕帯を報告している。

A醍醐断層

空中写真判読による開析された断層崖として、七面山の山地斜面西側を南北方向に図示され、南部で関ヶ原断層方向に湾曲し図示されている。何れも推定断層である。活断層研究会(1991)では、関ヶ原断層方向へ湾曲した区間を関ヶ原断層として示している。

B関ヶ原断層

空中写真判読による閉塞丘,河谷の左ずれ屈曲,小さな鞍部の連続と、踏査による中・古生層(美濃帯)中の断層破砕帯,逆断層露頭の確認により、西北西〜東南東方向に連続する一条の断層として分布が示されている。

C宮代断層

空中写真判読及び踏査により、低位段丘面の上下変位と中位段丘面/低位段丘面境界部の低断層崖の分布から、南宮山山地斜面北東側に北西〜南東方向に連続する一条の断層を図示している。宮代断層の北部の南西側には、空中写真判読による断層鞍部の連続として左ずれ断層が一条推定されている。 活断層研究会(1991)では、宮代断層の南西側の断層も関ヶ原断層として示している。

2) 活動履歴 

杉山ほか(1994)では、宮代断層にのみ、第四紀更新世後期の断層活動を示唆する記載がある。

宮代断層に関する記載では、断層線南部で中位段丘面と低位段丘面が比高5mの低断層崖で接していること,断層線北部で低位段丘面の上下変位が存在すること,から低位段丘堆積以降の断層活動を示唆している。

関ヶ原断層については、断層線西部の隣接した2箇所で、断層線の北側の中位段丘の分布,断層線の南側で中位段丘の分布が示されているが、中位段丘堆積以降の活動性を示唆する記載はない。

3) 断層の構造

杉山ほか(1994),活断層研究会(1991)によれば、各断層は以下の様に図示されている。

@鍛冶屋断層

断層線西部は、杉山ほか(1994),活断層研究会(1991)ともに左ずれ断層として示されている。しかし東部は、活断層研究会(1991)では南側隆起の断層としているが、杉山ほか(1994)では、断層線中央部の実線区間のみ相対的な南側隆起を示しているのみで、その東側の推定区間は断層の構造を記載していない。

A醍醐断層

杉山ほか(1994),活断層研究会(1991)では、ともに相対的に東側隆起として示している。

B関ヶ原断層

杉山ほか(1994)では、記載されている逆断層露頭の東側を左ずれ断層として示しており、西側については記載がない。活断層研究会(1991)では、相対的な北側隆起の左ずれ断層として示している。

C宮代断層

杉山ほか(1994),活断層研究会(1991)では、ともに相対的に西側隆起として示している。杉山ほか(1994)では、断層線の北部を撓曲として記載している。