2−1−6 古地図資料

一般的な古地図資料として、明治時代中期に作成された仮製地形図あるいは迅速測図と、明治時代末期にこれらをもとに作成された正式測量図が挙げられる。これらは2万分の1縮尺であり、正式測量図の精度が最も高いが、この地図が作成されている地域は限定されており、当調査地域においては作成されていないようである。しかし、この地域の古地図資料のひとつとして迅速測図原図がある。これは明治13〜19年にかけて、関東平野のほぼ全域を網羅した手書き彩色図であり、当時の地形状況とともに、土地利用状況が詳細に記載されている。

関東平野北部における迅速測図は、基本的に3種類に区分されており、畑地、水田、林地などが識別される。深谷断層との関係で見ると、水田は断層の下盤側と河川沿いの沖積低地にほぼ限られて分布している。現在の深谷駅周辺では、第U段丘(立川相当)面上においても撓曲崖の崖麓部まで水田として利用されており、断層による撓曲構造とよく対応している。また、深谷駅南側の滝の宮神社境内の池や、その約300m東にある下台池などは、この当時から崖麓部にあることが判読される。本庄測線地区は、小山川の河川性の沖積低地にあり、河川に沿って南部まで水田が広く分布する。とくに、当時の畑地と微高地あるいは自然堤防の分布がほぼ一致する結果となっている。しかし、断層による変状を示す手がかりは認められない。

*1)総理府地震調査研究推進本部地震調査委員会編(1997):日本の地震活動,(財)地震予知総合研究推進会,391p.

*2)萩原幸男ほか5名(1986):活断層の重力調査(1).東京大学地震研究所彙報 ,vol.61,no.4,pp.563ュ586.

*3)萩原尊禮編著(1982):古地震−歴史資料と活断層からさぐる−,東京大学出版会,312p.

*4)松田時彦ほか10名(1988):伊勢原断層(神奈川県)の試錐による地下調査,東京大学地震研究所彙報,vol.63,no.2,pp.145ュ182.