3−1−1 地形・地質概要(文献調査)

関東平野の地形は、図3−1−1に示すように、平野周辺部の丘陵、中央部の広い台地、これらを開析した低地に分けられる。調査地域は、南西に武蔵野台地、北東に大宮台地、これらの中央に位置する荒川により開析された荒川低地から構成されている。

貝塚(1957)によれば、武蔵野台地は青梅付近を扇頂とし東に広がる扇形をしており(図3−1−2)、主として多摩川により形成された扇状地である。この台地は荒川低地の沈降運動により北東方向へ傾動している(貝塚,1957)。段丘面は、高位から下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の3面に区分されている(関東ローム研究グループ,1965)。その後の詳しい火山灰層序の確立により、地形面はさらに細分化されている(図3−1−3)。その地質層序を表3−1−1に示す。

武蔵野台地は、下末吉海進期に形成された海成層(東京層、荒川沿岸では200m以上)や河成の扇状地堆積物から構成された地層を風成の関東ローム層が覆っている。関東ローム層は、三色アイス軽石層(SIP)、御岳第一浮石層(Pm−1)、小原台軽石層(OP)、東京軽石層(TP)などの鍵層により、下末吉、武蔵野、立川ローム層に分けられる。これらの台地構成層の下位には上総層群が分布している。

堀口・平社(1986)によれば、大宮台地とその北方の館林台地はもともとは一連の台地で、その中部が関東造盆地運動(矢部・青木,1927)によって沈降し、加須低地が形成されたと考えられている。図3−1−1に示すように、大宮台地は周囲を加須、中川、荒川低地に囲まれ、北北西−南南東へ延びている。清水・堀口(1981)は、南西側の大宮台地主部をなす台地面が北方に向かって高度を下げ、沖積低地との比高を減じ沖積面下に埋没する地域に線状構造が多く認められることから、この地域に元荒川構造帯を推定し、地塊状に沈降している可能性を指摘した。

表3−1−2に示す大宮台地の層序によれば、大宮台地の地下20m前後には、武蔵野台地における東京層に対比される貝化石を多量に含む泥層とその下位の砂礫層が広く分布している。この上位の大宮層は、火山灰質のシルト質砂層を主とする陸成層である。関東ローム層は、下末吉ローム層上部、武蔵野、立川、大里ローム層に区分されている。

図3−1−4に示すように、荒川低地は自然堤防、旧流路、後背湿地などからなっており、大宮台地の南東で中川低地と合流し東京低地へ続いている。遠藤(1986)によれば、東京低地の沖積層は、不整合を境に有楽町層と七号地層に二分され、七号地層下位には最終氷期の低海面期に形成された谷地形が埋没しており、谷底にはBGとよばれる基底礫層が分布し、また、有楽町層の基底にも浅い埋没谷がありHBGとよばれる基底礫層がある。荒川・中川・東京低地の沖積層はBGとHBGに基づいた区分と対比が可能である(表3−1−3)。

以上は関東平野における後期更新世以降の比較的浅部の地質に関する事項である。一方、深部については、関東山地にみられる中・古生界が新第三系〜第四系に覆われて、地下数百〜数千mに埋没していることが、深層ボーリングや各種物理探査(重力、屈折法、反射法)により次第に明らかになってきている(石井(1962)、矢島(1981)、長谷川(1981)、駒沢・長谷川(1988)、多田(1982,1983)、多田・小林(1987)、笠原ほか(1993、1994、1995、1997)、纐纈(1995)、鈴木(1996))。図3−1−5にはこれらを20万分の1の地勢図上にコンパイルした結果を、表3−1−4には調査地周辺の深層ボーリングデータを示す。

以下では、鈴木(1996)をもとに、更新統以深の地質構造についてまとめる。

関東平野における層序は上位から下総層群(中・後期更新世)、上総層群(後期鮮新世〜前期更新世)、三浦層群(中期中新世〜前期鮮新世)、保田・葉山層群(前期中新世)及び先新第三系と区分される。それぞれの境界面深度分布(特に、上総/三浦及び下総/上総層群の境界については統一見解はなく検討の余地がある)を、深層ボーリング及び物理探査データから推定した結果を図3−1−6に示す。

先第三系上面(図3−1−6(1))の起伏は、地表の平坦さと比較して非常に凹凸に富んでおり、深度3000mを越える深い谷状の構造が特徴的である。これは、前橋方面から利根川中流域に沿って埼玉県東部に達し、そこから南に向きを変えて南下し、神奈川県東部に延び、さらに東に向きを変えて房総半島へ続くクランク状の構造を呈している。これらの基盤の地質構造区分は図3−1−5及び図3−1−7に示すように、大局的には関東山地でみられる西北西−東南東方向に延びる帯状の分布がそのまま東側の平野部に延長するものと考えられており、本調査地は秩父帯から三波川帯の境界付近に位置している。

図3−1−6(2)の上総層群基底深度分布図によれば、先第三系の深度が大きな地域では三浦層群の層厚が大きいという傾向が顕著にみられ、三浦層群は先第三系の凹凸を埋め立てながら堆積したものと考えられている。坑井地質によれば、関東平野南西側では三浦層群は上総層群に比べて全般的にかなり粗粒で浅海環境であったと推定されている。一方、上総層群基底深度図は新第三系上面深度図と異なり、現在の関東平野の地形と類似した東京湾北部や房総北部を中心として東西に長い盆状構造を示している。本層はほとんどが海成層とされている。

下総層群は東京湾奥の千葉県側沿岸部で最深で、この堆積盆は北西―南東方向を示し、房総側で急激に浅くなっている。本層の堆積中心は、上総層群と比べてより北側に位置しており、三浦層群以降の堆積中心の北側移動が継続していることを示している。さらに、本層の岩相は地域差が大きく、堆積環境も浅海から淡水環境まで含み、関東平野が陸化する過程における海水準変動を反映していると考えられている。