2−1 地形面区分

綾瀬川右岸には、川口市安行〜浦和市下野田にかけて、NW−SEに延びる10m前後の明瞭な崖線があり、台地面は17〜15mで北西に次第に低下する。また、分水は東側に偏する。

大宮台地南部の浦和市大谷口〜東浦和にかけては、谷との比高差が小さく全般に台地面が低く13〜14mで南に傾斜する。

芝川右岸の浦和市北部木崎〜三室にかけては、東西に延びる標高15〜16mの高まりが見られ、北側の芝川の谷に沿って比較的明瞭な崖線を形成する。比高差は8〜10mに達する。大宮市東北部は全体的に北西〜南西に延びる台地で、西に高く、東〜北東に向かって緩やかに傾斜する傾向にあり、芝川、荒川沿いの左岸側には比較的明瞭な比高10〜12mの崖線を形成することが多いが、東側は一部を除いて沖積面との比高差が小さく、緩やかに沈み込んでゆく所が少なくない。

特に、北東部の蓮田〜伊奈、桶川にかけては台地面と沖積面の比高差が少なく、台地と沖積面の境界が不明瞭である。

本調査地域(以下、大宮台地と呼ぶ)を含めた近傍地域の地形区分に関する主な文献としては、関東ローム研究会(1965)、関東農政局(1974、1993)、堀口(1974、1980、1986)、清水・堀口(1980)、垣見ほか(1982)および坂本ほか(1987)等が挙げられる。これらの文献をまとめて表2−1−1に示す。これによると、大宮台地の大部分を武蔵野面に対比する堀口(1974、1080)および清水・堀口(1981)の見解、綾瀬川を境にして東部の大宮台地を武蔵野面に、西部の大宮台地を下末吉面に対比する関東ローム研究会(1965)および関東農政局(1974)の見解、大宮台地のほとんどを小原台面に対比する坂本ほか(1987)および関東農政局(1993)の見解に大別することができる。これらの地形面区分を以下に要述する。