2−1−1 堀口(1974,1980)および清水・堀口(1981)の区分

@堀口(1974,1980)および清水・堀口(1981)は、桶川・鴻巣付近の大宮台地北西部と川口市安行付近の大宮台地南東部(安行台地)を下末吉面に対比し、その他の大宮台地の大部分を武蔵野面に対比した。

A堀口(1974)は大宮台地を広く覆う関東ローム層中に東京軽石層を含むことから、大宮台地の大部分を占める台地中央部を武蔵野面に対比した(図2−1−1参照)。しかし、桶川・鴻巣付近の大宮台地北西部と川口市安行付近の大宮台地南東部(安行台地)を下末吉面に区分した根拠については明記されていない。

B堀口(1980)によれば桶川・鴻巣付近および安行台地を構成する面を古東京湾堆積物(東京層=下末吉層)の堆積面に当たるとしている。大宮台地で観察される東京層は最上部層に近く、砂層およびシルト層とその上にのる火山灰質粘土層からなる。火山灰質粘土層にはPm−T軽石層注1に対比される黄緑色軽石層(うぐいす色軽石層)が入り、また、川口市赤井では、下末吉ローム層下部にあたるSIP注2が挟まれている(町田、1973)ことから、この粘土層を板橋粘土層に対比している。火山灰質粘土層の上位には火山灰質砂層があり、その上部は硬く団結して硬砂層と呼ばれている。川口市木曾呂ではこの硬砂層直下にOP軽石層注3が入っている。硬砂層より上位は風成の下末吉ローム層および武蔵野・立川ローム層と続いて重なっている。

また、大宮台地の中央部は前述の東京層の侵食面と考えられおり、東京軽石層を含む武蔵野ローム層に覆われるので武蔵野面に対比されている。大宮台地の武蔵野面堆積物は明らかではないが、武蔵野ローム層に漸移する粘土層があり、これが武蔵野面堆積物に相当すると考えられている。なお、大宮台地では東京軽石層の分布は鴻巣付近を北限とし、それ以北には分布していないとしている。

C清水・堀口(1981)は大宮市東部深作地域において見沼代用水東縁用水路を境にして、両側の台地に高度差があることを認めている。しかし、両地域の被覆層を比較すると、いずれの地域も東京軽石層を挟む武蔵野ローム層に覆われ、また、東京軽石層の分布高度にも台地面高度と同等の差があることから、これらの地域は元々同一面で、見沼代用水東縁沿いに断層によって、その両側の地盤が変位したと考えている。同様の台地面の変位を桶川市坂田・倉田付近から大宮市丸ヶ崎付近にかけての台地縁辺部でも報告している。堀口(1974、1980)で報告されている桶川・鴻巣付近および安行台地などの下末吉面については調査範囲から外れているため、言及していない。

Dしかし、堀口(1986)では、上記した下末吉面を大宮台地には認めておらず、大宮台地を武蔵野段丘T面とU面とに区分している。

E堀口(1986)では下末吉面は下末吉海進期堆積物上面であり、下末吉ローム下部層以上に覆われると定義し、「古東京湾」海退期の侵食面構成物は武蔵野期の堆積物として一括している。したがって、堀口(1974、1980)の下末吉面と区分した桶川・鴻巣付近および安行台地の高い台地面は武蔵野段丘T面に区分されている。武蔵野段丘T面の構成層は東京層(古東京湾堆積物=下末吉層)の最上部に近く、砂層およびシルト層とその上にのる火山灰質砂層および火山灰質粘土層などがある。堀口(1986)ではこの面を武蔵野期の一部に対比しているが、火山灰質粘土層にはさまれる軽石層から、この面を成増面に対比した。

武蔵野段丘T面に挟まれた大宮台地全体に広く分布する一段低い面を、堀口(1986)では武蔵野段丘U面に区分している。武蔵野段丘U面は武蔵野段丘T面の侵食面であり、東京軽石層を含む武蔵野ローム層以上の関東ローム層がのり、いわゆる従来の武蔵野面に対比される。

注1)Pm−T軽石層:

下末吉ローム層中の軽石層であり、御岳第1軽石層に相当する。

注2)SIP:

下末吉ローム層下部の軽石層である。下総台地では、一般に粘土化の進んだ軽石からなり、灰白〜淡黄〜黄橙などの色調を呈することから三色アイス軽石層(SIP)と呼ばれている。

注3)OP軽石層:

三浦半島の小原台軽石層に相当しており、下末吉ローム層上部に位置する軽石層である。