5−3−5 まとめ

トレンチ掘削調査に際しては、明治時代の旧地形図をもとに人工的に作られた溜池部分を外し、現在の地形において非常にリニアメントが明瞭な地域を選定して実施した。本調査に先行して、オールコアボーリングを上盤側は12mを1本、下盤側は28mを1本実施した(図5−14)。

ボーリング調査については、上盤側のNo.1孔、深度11.9m(標高23.75m)と下盤側のNo.2孔、深度24.1mに、層厚それぞれ10cmの火山灰層が確認された。これらの火山灰層はともに粘土層の下位にあり、分析の結果、火山ガラスの屈折率・形状および鉱物組成が一致した。従ってこれらの火山灰は対比されると推定される。またこの火山灰層は、調査地域北部の松尾丘陵で記載されている池田下火山灰(大阪層群最下部団体研究グループ、1993)と対比される可能性が高い。池田下火山灰はMa5層下位に挟在されるため、この火山灰上位の粘土層は大阪層群のMa5層であると推定される。またこれらの火山灰層の挟在深度の違いを地層の傾斜とみなすと、コアの地層は見かけ上約20°〜30°西へ傾斜している事になる。

トレンチ調査については深度2〜3メートルまでの掘削を行い、図5−8に示す断面を得た。断面の地層は下位からA〜D層に区分された。A層は大阪層群の海成粘土層、B層〜D層は礫層である。大阪層群と推定されるA層上面の高度について標高を測量したところ、西へ約20°〜30°傾いていることが確認された。これはボーリングで確認された地層の見かけの傾斜角と矛盾しない。この傾斜角度は周辺の河床傾斜角(5°以下)よりは明らかに急傾斜であり、またA層中には節理面や小断層とも解釈できる割れ目が多く観察されることから、撓曲の頂部である可能性が示唆されている。しかしながら、A層上部の礫層(B〜D層)の上面・下面においては凹凸があるが、断層活動を直接示す構造は確認されなかった(図5−15)。

礫層の堆積年代を明らかにするために、断面からC層およびD層について試料を採取し、花粉分析・プラントオパール分析および放射性炭素による年代測定を行った。その結果、花粉帯のF5亜帯(古谷、1979)に対比されると考えられ、その年代は2000年から1500年前と推定される。周辺地域の遺跡発掘調査で行われた花粉分析からも、奈良・平安時代に上記のような特徴が見られる。また草本花粉はイネ属および水田雑草と呼ばれる分類群が含まれる事から、周辺で水田稲作が行われていた可能性が高い。年代測定値については、C−3層で2200±50yBP、C−4層で4130±50年yBP、C−5層において1010±50yBPおよび900±60yBPという結果が得られた。

D層については、D−1層ではマツ属が卓越し、スギ属を多産する。これらの特徴は周辺の遺跡調査でも中・近世に見られる。またイネ科が多産する事やソバ科の産出とともにアブラナ科を多産する事が特徴的である。アブラナ栽培が盛んに行われたと推定されている年代は1600年前後と推定される(深津、1975)。また年代測定値については1340±50年yBP、190±60yBPという値が得られた。

本調査地域は、地形上からはこの位置に撓曲が存在する可能性が極めて高いと推定された。またボーリングやトレンチでわかる地層の落差、大阪層群中の割れ目などの事実を撓曲の影響によるものと解釈する事もできる。しかし礫層上面のレベルが水平に近い事、またC層・D層は人の手が入っていると予想される事、地表で断層崖と推定された崖の約1.6mの比高差が、地層の傾斜と異なる事などから、人工的に地形および地層が改変されている可能性も高い。

またB層がこの周辺の地表に分布する低位段丘堆積層に相当するとすると、A層・B層間には大きな堆積間隙が存在すると予想される。従ってA層上面の高度の違いは不整合による可能性もある。ボーリングで見られた池田下火山灰の挟在深度の違いを断層運動に伴う撓曲によるものと解釈し、池田下火山灰の降灰年代を約70万年前として、その変位速度を池田下火山灰の降灰後から計算すると、断層の活動度は見かけ上C級となる。しかし断層の活動した時期が不明であるため、この計算をそのまま断層の活動度とする事はできない。実際の断層の活動度を評価するには古い時代の証拠のみでなく、より最近の断層活動の証拠を捉える事が重要で、それらの複数の証拠をもとに判断する事が必要である。今回の調査では、最近数万年間に断層が活動をしたという証拠を得られなかった。