(1)地形および地質

日出町の城山から藤原を経て東方の真那井に至る線より南側で、別府湾岸までの地域である。本地域には、鮮新世〜更新世の大分層群が広く分布し、「顕著な丘陵地形」(千田,1983)を形成している。この地域の大分層群については、首藤(1953)が大分層群下部に対比している。その後日高(1978)は、これを「日出層」と「大神層」に区分し、日出層上・中・下部に、大神層を上・下部に区分している。

今回の調査では、基本的に日高の層序区分に従ったが、その中に挟まれる火砕流(軽石流)堆積物については黒雲母を多量に含む層相からみて、由布川火砕流堆積物(60万年BP)ないし鮎則火砕流堆積物(60〜70万年BP)に対比できる可能性が高いと判断した。

詳細にみると、糸ヶ浜から鶏糞鼻にかけての「日出層中部層」の分布域にみられるものは、最下部に降下軽石層を伴う層序13〜15mの黒雲母が目立つ非〜弱溶結の軽石流堆積物を伴い、間に火山礫(小〜大礫)が集中する部分や細粒の火山灰質シルトを挟み、複数のフローユニットから成る。一方、大神層分布域の真那井北方の道路沿いにみられるものは、最下部に厚さ0.6m程度のサージ様堆積物を伴う厚さ10m以上の軽石流堆積物で、同様に黒雲母片を顕著に含み、非〜弱溶結であるが、軽石粒をを圧倒的に多く含み、火山礫は少ない。また、粒度的にも均質に近く、フローユニットは識別できない。このような層相の違いを星住ほか(1988)の火砕流識別基準(表3−2−2)に照らすと、前者が鮎川火砕流堆積物、後者が由布川火砕流堆積物の可能性があると考えられる。

一方、真那井当方の海岸沿いにも、軽石流堆積物が分布し、これと糸ヶ浜南方の海岸沿いの軽石流堆積物は、火山ガラスの主成分化学組成等によって区分できること(椎原・長谷,1997)及びFT年代値も、前者が1.1Ma、後者が0.6Maと異なっていること(峯元・竹村、私信、発表準備中)が報告されている。

本地域で想定される特異な構造運動(後述)については、更新世前期にさかのぼってテクトニクスを検討する必要があり、その際はこのような大分層群の層序、構造についての詳細なデータが不可欠である。

本地域の地形については、中川(1964)、千田(1983)、九州活構造研究会(1989)等の報告がある。表3−2−3に既存の報告での地形区分と今回の調査による地形区分を対比した。

既存の報告では、本地域の地形的特徴として次のような点が挙げられている。

・下末吉面相当の海成段丘面が広く分布する。

・段丘面としては浸食面が主で、下末吉面相当の面には堆積物はみられない。

・低位の段丘面は礫層を伴う。

今回の調査で得られた地形面区分とその対比についての知見をまとめると次のようになる(図3−2−4参照)。

@ 日出町大神の三尺山山頂付近に最も高い段丘面(高位面)が分布する。

標高は50〜65mで、著しく開析されている。堆積物は確認できない。

A 標高20〜40mの面が広範囲に分布する。開析が進んでいるが、面としての定高性は概ね保たれている。堆積物は確認できておらず、面直下では大分層群相当層を直接黒ボク土が覆う。日出町東小深江から瀬ノ上にかけては、この面よりやや高い面(標高40〜55m)が段丘状に突出しており、一時代前に形成された面である可能性があるが、詳細が不明なため独立しては扱わない。

B 日出町中村から片原津・真那井にかけて丸尾川の支沢ないし本流沿いに、Aよりやや低い標高18〜22mの面が分布する。このうち中村・片原津ではAso−4火砕流堆積物(いわゆる八女粘土層や鳥栖ローム層相当)が面を構成している。真那井付近の面では、面の直下により古い軽石流堆積物が出現し、Aso−4は確認できないが、面の平坦性・定高性からみて、同時期に形成されたものと考えられる。

C 日出町西小深江から日比ノ浦にかけての海岸沿いには、標高20m前後で、南へ緩傾斜する平坦面が断続的に分布している。この面の下には、面の構成層とみられる安山岩質の円〜亜円礫(中〜大礫)から成る厚さ5m以上の礫層が出現する。

この面とBの面の関係については確認できていないが、分布標高がほぼ同様であることからみて、Bの面と同時期頃に形成されたと考えられる。

以上の知見をもとに、本報告では調査地域の段丘面を次のように区分した。

 

tr3:B、Cの面   形成時代は7万〜9万年ないしそれ以降

tr2:Aの面。tr3との関係からみて、下末吉面相当とみてよい。形成時代は約12万年BP。

tr1:@の面。形成時代は不明。

なお、この時代論に基づくと、本地域では、Aso−4が流下しtr3が形成されて、以後ほとんど段丘面が形成されていないことになる。これについては、本地域が鹿鳴越断層の東方延長部より南側に位置し、断層運動による沈降が、下末吉期以降最終氷期までの海水準の低下を相殺する方向に作用したことによる可能性が考えられる。