3−1−7 テクトニクス関係の資料

既述のように、調査地域は大局的にみると、「別府−島原地溝」(松本,1979など)の東部にあたり、重力基盤の落ち込みと鮮新世以後の活発な火山活動で特徴づけられている。調査地付近のテクトニクスについては、測地学的研究からの検討(多田,1984、1985)、重力探査(駒沢・鎌田,1985、楠本ほか,1996)や別府湾での反射法弾性波探査(由佐ほか,1992)から得られた深部地下構造からの検討、火山活動史からの検討(Kamata,1989、松本,1993など)がなされている。

多田(1985)は、国土地理院による1世紀近くにわたる三角基準点の観測結果をもとに、九州の地殻歪・水平変位量分布をまとめ、これに基づいて沖縄トラフ北東端として別府・島原地溝を位置づけ、トラフの拡大によって南北方向の引張応力場が生じているとした(図3−1−20、左側の図)。

しかしながら、詳細にみるとこの地溝の構造は、単純なrifted−basinではなく、重力探査にで求められた基盤構造をみると、調査地域および周辺は直径10qオーダーのさらに小さな地溝ないしカルデラ(別府湾・庄内・久重・猪牟田など)から成っており(図3−1−18−1図3−1−18−2)、別府湾では反射法弾性波探査によって、より具体的にその形状が把握されている(図3−1−19)。

Ito・Takemura(1993)は、このような地質構造の考察に加え、地溝内の火山活動の性格が島弧背後のrifted−basinとの類似性をもたないことを考慮し、多田(1985)の解釈を排し、中央構造線の右横ずれによって、九州北部の地殻変動を解釈した(図3−1−20、中央下の図)。このような中央構造線の右横ずれは、フィリピン海プレートの斜め沈み込みがその原因と考えられている(鎌田,1992など、図3−1−20、右下の図)。

これらのデータに加え、鎌田(1992)などによって明らかにされた鮮新世末からの火山活動の減衰と活動範囲の地溝内側方向へのせばまり・70万年前以降の噴出物の組成の変化(図3−1−21)、由佐ほか(1992)に示された別府湾東部の断層が、横ずれを示すフラワー構造であり、かつ、時代的にその位置が北へ移動していること等を総合的に考慮し、Ito et al.(1997,1998)は、鮮新世以降の豊肥火山地域の構造発達史を次のようにまとめている(図3−1−22−1図3−1−22−2)。

・600万年前〜150万年前は、フィリピン海プレートの北〜北北西への沈み込みによる北北西−南南東方向の引張場が全体を支配。

・150万年前〜70万年前は、フィリピン海プレートの沈み込み方向の変化(西北西方向への斜め沈み込み)による中央構造線の右横ずれ運動が強くなり、活動場が北へ移動。南西部では圧縮場、北東部では引張場となる。堆積盆は北東方向へ移動。

・70万年前〜現在は中央構造線の活動場がさらに北へ移動。西部では圧縮場、東方では引張場となる。堆積盆の移動が継続し、現在は別府湾を囲む地域が最も活動的。

このように、調査地域には大局的には引張応力場にあり、これに中央構造線の活動による右横ずれが加わっているという見解は、(2)項で述べた陸上の地形から解析された活断層の運動(池田,1979など)や(4)項で述べた地震のメカニズムと大局的には整合的である。一方、この見解に従えば、調査地域内では、地域ごとに異なる応力場が生じ、テクトニクスの最新表現としての活断層の性格が地域ごとに異なってくると考えられる。