4−2−4 崩平山−千町無田地域

崩平山付近では、火山体(34万〜36万年前に形成)の変形から断層の存在が認められる。斜面に対する逆向きの断層崖が明瞭である。おおむね山頂より北側の断層は北へ凸に湾曲し南落ち、南側の断層は南へ凸に湾曲し、北落ちである。

熊の墓断層では、対応する活断層の露頭(K−Ah火山灰が変位)が報告されている(村井・松田,1975)。地形的にも、寺床断層と熊の墓断層では、断層運動による谷の閉塞で落ち側に沖積低地が形成されており、新しい時代の断層活動の存在を示唆する(図4−2−17)。

山体西側に広がる山麓扇状地面上では、熊の墓断層と崩平山2断層の延長部に、逆向き低断層崖がみられる。崩平山7断層でも扇状地面上に明瞭な逆向き低断層崖が認められる(図4−2−18)。開析の程度からみて、扇状地面の時代は、あまり古くないと考えられるので、これら断層崖は、かなり新しい断層活動を示唆している可能性がある。これらの断層では、平成15年度にトレンチ調査を計画している(後述)。

崩平山南方の千町無田地区には、周辺の地形と異質な沖積低地が広がっている。この地域では、西方の丘陵地(朝日台溶岩<38万年前>から成る)に、東西方向に伸びる沢に沿ってリニアメントが判読できるが、他の地域に比べてあまり明瞭ではなく、既往文献でも、このリニアメントを活断層と認定しているもの(九州活研究会,1989;国土地理院,2000)と認定していないもの(中田・今泉,2002)がある(図4−2−19−1図4−2−19−2図4−2−19−3)。

今回の調査では、丘陵地のリニアメント位置で露頭剥ぎを行い、1万年前以後に活動した可能性のある断層を確認した(図4−2−20−1図4−2−20−2)。また、この断層および周辺のリニアメントの東方延長部にあたり、既往文献では断層の存在が示されていない千町無田の沖積低地で反射法弾性波探査を実施したところ、断層の可能性がある変形構造が認められた。少なくとも一部は、完新統を変形させている可能性がある(図4−2−21)。さらに、沖積低地の南東縁付近では、池田(1975)で活断層と認定された山麓の直線的な崖の西方延長部で、飯田火砕流堆積物(kj−p1の本体、約3万5千年前?に流下;年代については図4−2−2参照)の上面に北落ち約5mの段差が生じていることを見出した(図4−2−22)。 

千町無田の低地が形成されるには、鳴子川が何らかの原因で堰き止められ、停滞した水域が形成されることが必要と考えられるが、以上のデータからみて、比較的新しい時代の断層活動が千町無田低地の形成に関与している可能性があると考えられる。また、低地南縁に断層が存在するとすると、それは、崩平山地溝の南縁の位置が、従来考えられていたよりも南側であることを示唆することになる。