1−3 十文字原−朝見川測線上の断層群

この測線は、別府地溝を南北方向に横断している。測線上に位置する主な断層は、北から順に十文字原(別府北断層系)、目苅、大所南西、猫ヶ岩山東、亀川、鉄輪、堀田−朝見川の各断層である。

今回は、この内の、十文字原・目苅・猫ヶ岩山東・堀田−朝見川の各断層で、トレンチ・ボーリング調査を行った。今回の調査結果に平成10年度の調査結果、既往のトレンチ調査結果を考慮した各断層の評価を、表1−3−1図1−3−1にまとめた。また、代表的な調査結果を図1−3−2図1−3−3に示した。

本測線上の各断層の特徴は次のようにまとめられる。

@十文字原断層:古い火山体(20万年BP)上に比高約100mの南落ちの断層崖がみられる。トレンチや露頭で、AT火山灰・K−Ah火山灰の変形を確認した。断層の形態は、高角度の南落ち正断層であり、断層前縁に小グラーベン構造が形成されている。

最新活動時期は、K−Ah火山灰以後であるが、由布火山灰層準は変形しておらず、14C年代から、3,200年〜6,300年BPの間と判断される。

より古い地層(3〜6万年BP)とK−Ah火山灰の推定変位量にあまり差がないことから、活動間隔はかなり長く(1万年オーダー)、1回の活動での上下方向変位量は、1〜2mオーダーと推定される。

上下方向の平均変位速度からみた活動度はB(BM)級※である。

A目 苅 断 層:古い火山体(20万年BP)上に、北落ちの比高約25mの断層崖がみられる。確認された断層は、面傾斜が鉛直に近く、地下浅部で複数に分岐した断層がフラワー構造を成している。

最新活動時期はK−Ah火山灰以後であるが、由布火山灰が変形しているかどうかは、確実には判断できない。

トレンチでは3〜4回の活動イベントが確認できる。活動間隔は数千年オーダーとやや短く、1回の活動での上下方向変位量は、0.3〜0.5m程度と判断される。

上下方向の平均変位速度からみた活動度はB(BL)級である。

※以下、活動度B級の活断層をさらに区別するために、平均変位速度sの大きさでBH(1>s≧0.7)、BM(0.7>s≧0.3)、BL(0.3>s≧0.1)、とB級を細分して表現する。

B大所南西断層:古い火山体(20万年BP)上に、南落ちで比高10m以下の断層崖がみられる。断層崖は、開析がすすんでいる。平成10年度に小ピットを掘削したが、K−Ah火山灰は変形していないと判断された。すなわち、最新活動時期は、K−Ah火山灰より前で、活動間隔はかなり長い(おそらく1万年以上)と考えられる。

上下方向の平均変位速度からみた活動度は、C級以下である。

C猫ヶ岩山東断層:古い火山体(20万年BP)上に、北落ちで比高は約20mの断層崖がみられる。トレンチでは、K−Ah火山灰及びその下位の黒ボク土層には断層活動による変位・変形がみられなかった。※

これより、最新活動時期は1万年BPより前で、活動間隔もかなり長い(1万年以上)と判断される。

上下方向の平均変位速度からみた活動度は、B(BL)級以下である。

この断層は、B大所南西断層と向かい合う位置にあり、変位センスが逆で、活動度が同程度である。

※地形的に推定される断層位置がオフセットしており、局所的に変位の小さい地点でトレンチ調査を行ったため、このような活動性が低いという結果になったことも考えられるが、この評価は、地形からの全体的な評価とも矛盾しない。

D亀 川 断 層:古い火山体(20万年BP)上に、南落ちで比高は約50mの断層崖がみられる。既往トレンチや露頭でフラワー構造を伴う鉛直に近い高角の断層が確認された。既往トレンチ結果に基づくと、最新活動時期は2,000年〜3,400年BP間で(K−Ah火山灰以後、由布火山灰以前)、活動間隔は7,000年〜8,000年とやや短く、1回の活動での上下方向変位量は0.6〜0.7m程度である。

上下方向の平均変位速度からみた活動度は、B(BL)級以下である。

これらのパラメーターや断層の形状は、A目苅断層に類似している。

E鉄 輪 断 層:古い火山体(20万年BP)上に、南落ちで比高は約40mの断層崖がみられる。

今回は詳細調査を実施していないが、上下方向の平均変位速度からみた活動度はB(BL)級であり、変位のセンスや量は、D亀川断層に類似している。

F堀田−朝見川断層:古い火山噴出物(由布川火砕流堆積物:60万年BP)が285m程北落ちに変位している(竹村・壇原,1993)。朝見地区と堀田地区のボーリング調査結果からみると、この断層は高角の正断層で、K−Ah火山灰以後に20〜30m、由布火山灰以後も2〜3m北落ちの活動を生じたと判断される。

鶴見岳の最新の溶岩流が変位を受けていることからみて、最新活動時期は、1,600年BP以後(平成10年度報告書参照)で、小林(1984)の溶岩流の年代推定にもとづくと、8世紀以後の歴史時代の可能性もある。

朝見地区のボーリングでのイベント解析結果を採用すると、K−Ah火山灰以後に600〜700年の間隔で10回程度の活動を生じたという推定ができるが、確実ではない。

上下方向の平均変位速度からみた活動度は、A級である。

以上より、十文字原−朝見川測線に沿った別府地溝内の断層群全体について次のように活動性とその特徴を評価できる。

@地溝が形成された20万年BP以後の断層活動は、この間を通してみると、地溝の内側からみて、概ね対称的である。

Aこの断層活動は、単に地溝の内側を全体として陥没させるだけでなく、十文字原地域にはドーム状の高まりをつくっている。

Bしかしながら、完新世(特にK−Ah火山灰以後)の断層活動は、著しく南縁に偏っている。

C南縁部を除く断層活動には、次のような特徴がある。

C−1.各断層の活動時期は、同時ではない。かといって、全くバラバラでもないようにみえる。

C−2.変位量が同程度である一方、変位の向きが逆で、相補的な関係で対になっているようにみえる断層の組合せがある。

(目苅と亀川、猫ヶ岩山東と大所南西)

C−3.上の組合せの内、目苅と亀川については、活動時期も相補的で、交互に活動しているようにみえる。

C−4.より長い時間スケールでみると、完新世以前には、目苅と亀川の活動に加えて、猫ヶ岩山東と大所南西の断層活動があったが、完新世になると目苅と亀川の対の活動だけが生じているようにみえる。これは、対を成す断層の組合せがさらに他の断層の組合せと相補的な関係となっていることを示唆するように思われる。

C−5.十文字原(別府北断層系)の過去20年間の活動は、地溝内側の規模の小さい断層群の活動全体に見合うほどの大きい変位量を示しており、この点からみると、十文字原とその他の断層全体が相補的な関係にある可能性が考えられる。このような相補性の関係は、現時点のデータでは完全には証明しきれないが、おおよその傾向の評価としては妥当と考える。

Dこのような相補性の観点からみると、地溝北部の十文字原断層とその南の断層群を全体としてみると、数千年オーダーの間隔で、そのいずれかが活動してきたと推定される。1回の活動の上下方向変位量はあまり大きくなく、最大でも1〜2m、概ね数10cmと評価される。

E一方、地溝南縁の堀田−朝見川断層では、少なくとも完新世においては、Dの断層群より活動間隔が1オーダー程度短く(数百年程度)、逆に1回の上下方向変位量(2〜3m)は半オーダー近く大きい活動が繰り返されたと推定される。