(2)C測線

C測線(C−C’断面)の地質断面図を図3−2−8に、Cトレンチの法面スケッチを図3−2−4−1図3−2−4−2に示す。

調査結果をまとめると以下のようになる。

1.C測線では、下位からB2層(25,390±140〜35,660±850 y BP)、C層(13,270±280〜21,790±240 y BP)、D層およびD層の上位には2枚の腐植土(古土壌)が分布する。古土壌Iは7,480±130 y BP、古土壌IIは6,870±70〜6,870±100 y BPの年代が得られており、D層上部の年代に相当する。

2.Cトレンチの村杉低地側(S3〜S9、E2〜N3)では、これらの古土壌とD層を削り込むようにチャネル堆積物(5,140±80〜7,280±100 y BP)が分布している。

3.Cトレンチの村杉低地側(S1〜S18、N1〜N16)では、走向・傾斜N20〜55E 10〜50E、変位10cm程度の逆断層が8条認められ、C層、D層およびチャネル堆積物を切っていることが確認される。また、これらの断層の一部は、チャネル堆積物上部の土壌化した部分まで切っていることが確認される。この土壌化した部分の年代は、5,140±80 y BPであるが、試料採集位置が、断層より上であること、土壌化した部分の上限が不明瞭であり上位の表土・耕作土と混じりあっている可能性があることから、この年代をもって断層の活動時期を特定した場合、実際よりも若い年代を与えうる可能性がある為、この年代を活動時期を特定する年代として採用しなかった。

また、これらの断層の一部は、D層中に見られる植物根跡の腐植土を切っており(図3−2−10−1図3−2−10−2)、その腐植土の年代は5,670±40〜5,870±50 y BPである。

4.これら8条の断層は以下の特徴を有する。  

・幅1mm程度の筋状を呈し、いずれも挟在物、破砕部を伴わない。

・D層中の単層の変位は各断層とも約10cmと一定であり、変位の累重性はみられない。

・断層は、各断層とも地表下1m(法面長0.5〜2m)付近で消滅している。これは、D層上部が地表に近いほど茶褐色を呈し、地表からの風化作用を被っているため、細い断層はかき消されているものと考えられる。また、C層の軟らかい粘土層中では一部を除いて断層そのものが不明瞭である。

・条線は、一部の断層で不明瞭ながら70〜85S方向の条線が観察される。

5.トレンチ調査、ボーリング調査結果によると、測線の西側で実施した2孔の結果では、B2層とC層の境界は20゜程度の傾斜を示し、C層とD層の境界は10゜程度の傾斜を示す。一方、測線の東側で実施した2孔の結果では、B2層とC層の境界は、6゜程度、C層とD層の境界は3°程度の傾斜を示し、Cトレンチの東端と月岡−12孔の間に構造的な差が認められ、この間に断層本体が存在すると考えられる。

6.CトレンチでC層とD層の地層境界、およびD層中の礫混じり砂層などは、村杉低地側に5〜10゜で緩く傾斜している。一方、C層中の腐植質シルト層や礫混じり砂層は、村杉低地側に20゜前後と上位層に比べ急傾斜しており、C層とD層は傾斜不整合の関係にある。これは、C層以下の地層が断層活動に伴う変形を受けた後に、D層が浸食・堆積したと考えられ、7,480±130〜13,270±280 y BPの間に少なくとも一回の断層活動があったと判断される。

以上の結果をまとめると、

C測線上における月岡断層は、Cトレンチと月岡−12孔の間に位置すると考えられ、トレンチで確認された東傾斜の8条の断層は、断層本体の活動に伴い生じたバックスラスト(副断層)であると考えられる(図3−2−11参照)。

断層運動は、Cトレンチでは2回のイベントが認められ、その活動はC層堆積以降、D層堆積前の約7,480〜13,270 y BPと副断層を形成した5,670〜5,870 y BP以降である。また、副断層の条線の方向が70〜85Sを示し、副断層に切られるD層中の植物根跡である腐植土に横ずれが認められないことから判断すると、笹神丘陵を分離する河川の屈曲を示唆するような横ずれ変位はない可能性が高いと判断される。