(3)天白河口断層の活動性

音波探査結果と、潮見町と新宝町でそれぞれ一測線行った浅層反射法探査結の結果を踏まえて、基盤到達深度が比較的浅い新宝町で70mのボーリングを3孔行い、実際の地質試料を得た。図1−6−4に示した新宝町の解釈断面図では、各ボーリングの間に認められる地層は高低差を持つが、ボーリング結果のみから判断する限りこの程度の高低差が断層変位により生じたと断定することは出来ない。

新宝町の浅層反射測線と同じ地域で行われた、稲崎(1988)による高分解能S波探査D測線の結果と、本調査のボーリング調査結果を合わせて検討した。この結果を図1−6−6に示す。D測線の反射面は、本調査のボーリングB−2およびB−3で確認された地層と対比すると、第二礫層(約16万〜17万年前)から熱田層(約4〜16万年前)、あるいは第一礫層(約2〜4万年前)まで含む反射面であることが判明した。B−2とB−3の間には、東海層群中に確認された天白河口断層F4のが延びるはずであるが、反射面は明瞭に連続しており変位は認められず、第二礫層形成開始以降、断層による変位を被っていないことを示す。

潮見町で行った浅層反射法探査の浅部断面では、第一礫層は連続よく分布しており、熱田層は削剥されており変位の有無を判断できない。音波探査の結果(S測線)では、海部・弥富層には反射面の不連続が認められるが、熱田層は断層近辺では第一礫層による削剥によりほとんど失われており変位の有無を判断できない。第一礫層は連続よく分布している。また、東海層群中に認められる反射面の落差には累積変位が認められており、第三紀のある時期からある間隔をもって熱田層形成前まで断層活動を繰り返していた可能性がある。

以上を考慮すると、海部・弥富層と第二礫層は断層による変位を受けている可能性を否定できない。また、熱田層、第一礫層が断層変位を受けている証拠は存在しない。よって天白河口断層は、海部・弥富層および第二礫層の形成時期に活動した可能性を残すが、少なくとも熱田層形成開始以降は活動していない。従って、最終活動時期は熱田層形成開始以前であり、活動が停止してから約15〜16万年以上が経過していることになる。この結果は、天白河口断層の存在を指摘した上で、第四紀後期の活動については否定的であった既存の研究(桑原,1976;西堀・野澤,1988等)と一致する。

地質調査所(1983)、衣笠・垣見(1984)、衣笠(1987)、国土地理院作成の「都市圏活断層図」等は、活断層は「第四紀後期あるいは最近数十万年間に繰り返し活動した断層」としている。また、近年の活断層調査結果は、3万年以上の活動間隔を持つ活断層は存在しないことを示している。以上から、天白河口断層は活断層ではないと言える。

図1−6−6

総合解釈断面図