1−2−2 調査目的

阪神・淡路大震災を教訓とし、直下型地震を引き起こす可能性のある断層について、その分布範囲・位置・特性に関し詳細な調査が必要とされた。

平成8年度は存在が推定されていた「天白河口断層*」の存在確認を目的とし、天白河口断層の存在の有無と通過位置の把握を目的として調査を実施した。

平成9年度は、平成8年度調査結果を踏まえて、断層通過位置の特定など、より具体的な地下構造等の把握を目的として調査を実施した。

平成10年度は主として、断層の活動性確認のためのボーリン調査を実施し、平成8年度および平成9年度の調査結果を踏まえて、「天白河口断層」の総合評価を行うことを目的とする。

*天白河口断層の認定の根拠となった主な文献は、桑原(1976)「濃尾傾動盆地の発生と地下の第四系(地盤沈下の実態とその対策に関する調査研究報告書.愛知県環境部.」である。桑原(1976)は、ボーリング等の地質資料から基盤の東海層群および海部・弥富層付近に明瞭な出現深度の急変を認めた。また、第三紀から連綿と継続されてきた濃尾傾動地塊の沈降運動と猿投−知多上昇帯の上昇運動の不連続線が存在する必然性を踏まえて、この断層を「濃尾傾動地塊(盆地)の南東縁を限る構造線」として定義し、天白河口断層と呼んだ。

西堀・野沢(1987)は、天白河口断層は「名古屋港域を東北東−西南西方向に延び、相対的に北落ちの正断層で、海部・弥富累層より古い地層を変位させている」、としている。古本ほか(1987)は、新宝町付近で杭打ち反射法による探査を実施し、変位の存在を指摘した。

活断層研究会(1980)「日本の活断層」は天白河口断層を推定活断層として、活断層研究会(1991)「新編:日本の活断層」は天白河口断層を伏在断層として描いている。また、建設省国土地理院(1996)「1:25,000 都市圏活断層図」は天白河口断層について、「明瞭な変位地形が確認されないため、本図幅には記載していないが、今後調査が必要である」とされている。

以上のように天白河口断層は、地表でその存在を確認する証拠を持たないが、地質資料や物理探査から、「第三紀の基盤を変位し、さらに第四紀前期の地層を変位させている可能性が高く、その変位がより新しい地層のどこまで及んでいるか不明である」ような断層で、この断層が天白川河口に存在することはほぼ確実であることが指摘されていた。ただし、天白河口断層の第四紀後期以降の変位については、いずれの研究者も第四期後期の新しい地層に断層変位の痕跡が認められない点等から否定的であった。

中京地区の中心都市である名古屋市の地下を横断すると考えられる「天白河口断層」は、極めて注意すべき活断層であるとして本調査の実施に至ったものである。