(5)トレンチ調査

古文書に示された1792年の地震に伴う地割れの位置について検討した結果、島原城二の丸において、築城当時(1618〜1625年)の盛土に変状が認められたため、トレンチ調査を実施した。トレンチ掘削地点の位置図を図4−58及び巻末資料に示す。

調査地は、島原城公園内の歴史遺物が出土する可能性がある「城館跡地」である。したがって、遺跡発掘調査に準じて人力による掘削とし、長崎県教育庁及び島原市教育委員会の指導のもとに掘削を進めた。

掘削の結果、考古遺物としては、表土や盛土中から少量の瓦片、陶磁器片が出土したのみであった(図4−61)。当時の島原城を示した古絵図によれば、調査地点は倉庫様の建物の北側の空地となっていることから、遺物が少ないものと解釈される(図4−59)。

掘削に際して、表土の下の褐色土中をほぼ水平に延びる木の根が多数認められた(図4−60)。これは盛土部が硬く締っているため、根が盛土中に入って行けず、水平に延びたものと思われる。このことから、掘削法面や底盤に見られる植物根は、盛土中の割れ目に沿って進入したものと考えられる。

トレンチ北端では、表層の黒土が、ほぼ垂直な割れ目に落ち込んでいるのが認められた。割れ目の両側に上下方向の変位は認められない。この割れ目は、−0.8m盤では、湾曲したり枝分かれしているものの、ほぼ南北に延びているのが観察された(図4−62)。

一方、トレンチ南側では、硬く締った盛土中に、腐植質土が充填した、南北方向の溝状の割れ目が認められた。この割れ目中には、植物根が割れ目に沿って延びているのが観察され、地表には認められない松の根が数本延びているのが認められた(図4−64)。

このことから、掘削作業はトレンチ南側を中心に、−1.5m盤及び−2.0m盤の観察を行った(図4−63の写真@A)。この結果、ほぼ垂直な南北方向の割れ目が連続していることを確認した(図4−64)。

次に、地下レーダー探査の結果から、地表から−3m付近に見られた強反射層を確認するため、トレンチ北側を−3mまで掘り下げた(図4−63の写真BC)。

その結果、−3m付近には、礫を多く含む非常に良く締った砂層があることが確認された。この−3m盤にも、植物根や腐植土の存在から、上位から連続するほぼ南北方向の割れ目が確認された。レーダー側線はこれらの南北方向の割れ目と斜交しているため、反射面が不連続となったものと解釈される。

トレンチ全体の法面及び底盤の写真とスケッチを図4−65及び図4−66に示す。