(1)ボーリングSB−1

ボーリング柱状図を図4−46に、コア写真を図4−47に示す。また、詳細な柱状図とコア写真を巻末資料に示す。

ボーリング地点は、眉山岩屑なだれの流山の間の谷部で、孔口は標高12.03mである。ボーリング調査の目的は、ミニバイブによる反射法地震探査により確認された、標高−60m付近の連続性の良い反射面の地層確認である。掘削は100mまで掘進した。

以下にボーリング地点の層序について示す。

・地表からGL−3.44m(標高8.59m)までは、円礫主体の砂礫で、ボーリング地点が谷部に位置することから河床堆積物と考えられる。

・GL−3.44〜18.60m(標高8.59〜−6.57m)間は砂礫主体で、1792年の眉山崩壊に伴う岩屑なだれ堆積物と考えられる。

・GL−18.60〜62.41m(標高−6.57〜−62.41m)間は砂礫、礫混じり砂、火山灰層、シルト質砂、赤褐色に風化した砂礫、泥炭と雑多な層相を示す。

  GL−22.26〜23.00mには火山灰層が挟在されるが、上下境界は60°と高角に傾斜しており、また火山灰層中に礫を含むことから、岩屑なだれ中に取り込またブロックと判断される。また、GL−46.80〜51.13m間には泥炭が挟在される。この泥炭の放射性年代はコアの上部が29ka、コアの下部が27kaと時代的に逆転している。また、泥炭の堆積構造も約30°に傾斜しており、堆積構造からも逆級化を示す。以上より、この泥炭層も、岩屑なだれ中にブロックとして取り込まれ、逆転したものと判断される。

・GL−62.41〜71.25m(標高−50.38〜−59.22m)間はデイサイト角礫を主体とする火砕流堆積物である。デイサイト角礫間には同質の砂が充填しているが、異質物が全く含まれないことから、土石流や岩屑なだれではないと判断した。

・GL−71.25〜73.00m(標高−59.22〜60.97m)間は土石流堆積物を挟む。

・GL−73.00〜91.86m(標高−60.97〜79.83m)間は、暗褐色火山ガラスと軽石からなり、火山灰分析の結果、阿蘇4火砕流堆積物であることが確認された。下部は半溶結して硬く締っている。火山ガラスが高温酸化により暗褐色に変色していることから陸上で堆積したと考えられる。

・GL−91.86〜100.0m(標高−79.83〜−87.97m)間は土石流堆積物である。

SB−1地点の層序は、大部分が岩屑なだれ堆積物である。岩屑なだれ堆積物中に挟在される火砕流堆積物や湿地堆積物は、堆積構造、地層の傾斜、年代測定結果などから、岩屑なだれに取り込まれたブロックと判断される。

標高−50m〜−59m間には雲仙起源のデイサイト火砕流堆積物があり、さらに、標高−61m〜−80mには、厚さ約20mの阿蘇4火砕流堆積物が堆積している。この阿蘇4火砕流堆積物は火山ガラスが高温酸化による変色をしていることから、当時陸上に堆積したものと考えられる。したがって、阿蘇4火砕流噴出時(8〜9万年前)に陸であった場所が、現在は標高−79.8mにあることが確認された。

阿蘇4火砕流噴出当時の有明海の海水準は−21m以下とされている(杉谷、1983)。当時の海水準を仮に−21mと仮定すると、SB−1ボーリング地点は阿蘇4火砕流堆積後に、約60m沈降したことになる。しかし、この沈降量は、当時の海水準位置が不明なこと、及び、阿蘇4火砕流堆積時の標高が不明であることから、不確実である。

ボーリング調査の結果、反射法地震探査記録における反射面との比較では、標高−50m付近の強い反射面がデイサイト火砕流堆積物の上面に、また、標高−60m付近の連続性の良い強い反射面が阿蘇4火砕流堆積物の上面に対比される。

この結果を踏まえ、伏在断層の上り側でボーリングを実施した。