4−6−2 反射法地震探査

上述したように、千本木断層の東方延長に拡がる低位扇状地V面には、明瞭な変位地形は認められない。一方、1792年の「島原大変」における地震の際、島原城下に東西方向の地割れが出来たとの古記録がある。

また、既往ボーリング資料によれば、島原市広馬場付近において雲仙火山の基盤(口之津層群)上面深度に最大200m以上の南落ちの落差が推定されており、雲仙地溝の北縁が島原市内まで延長している可能性が指摘されていた(太田、1973、1987)。さらに、太田によれば島原城付近にも、変位量は小さいものの基盤上面深度に段差があり、変位量の小さな断層の存在が指摘されている(図3−6図4−41)。

さらに、島原半島の東海岸に沿った水準測量結果からは、島原市から深江町にかけての範囲が、過去100年間に2〜3mm/年の沈降を示すことが知られている(江頭他、1987:図3−17)。この沈降の北端は、太田(1987)が指摘した、基盤上面が南側に落ち込んでいる場所にほぼ一致する(図4−41)。

以上のような既往の文献資料から、雲仙地溝の北縁断層が島原市内に延長している可能性が高いと考えられる。このことは、雲仙活断層群の北縁の東端がどこかという問題に直結し、断層の長さ、すなわち予想される地震規模に関わる問題である。

しかしながら、島原市内は、新期の土石流堆積物や岩屑なだれ堆積物に覆われており、地表から断層の位置の確認は困難である。そこで、断層が想定される島原城付近及び広馬場付近を中心に反射法地震探査を実施して、断層の存在の確認を行った。