(4)長良川上流断層帯の活動性に関する記載

断層の活動性に関する文献としては、表2−1−2−2に示した15文献がある。これらの内、活動性(歴史地震)に関して記載があるものは、次の7文献である。表2−1−2−5に文献毎の記述の概要を示す。具体的内容については巻末資料文献抄録を参照。

@宇佐見龍夫(1995):新編日本被害地震総覧

A佐々木 嘉三・小井土 由光(1995):岐阜県の活断層

B白鳥町(1977):白鳥町史(通史編 上巻)

C白鳥町(年次不明):白鳥町史(通史編 下巻)

D大和村(1984):大和村史 通史編上巻

E八幡町(1960):郡上八幡町史 下巻

F八幡町(年次不明):八幡町行政記録

表2−1−2−5 文献毎の活動性に関する記載

文献Aでは、岐阜県周辺における被害地震の震央分布と歴史地震の諸元が図表にまとめられている。これら図表を図2−1−2−2 図2−1−2−3表2−1−2−6に示す。また、図2−1−2−4に岐阜県周辺の微小地震・極微小地震の震源分布(1980,1〜1983,10)を示す。

図2−1−2−2 図2−1−2−3 表2−1−2−6では、岐阜県中央部付近に3つの規模の大きい震央が示されている。図2−1−2−4をみると、岐阜県中央部地域では北美濃地震や岐阜県中部地震の発生した地域において、現在でも微小地震や極微小地震の活動が活発である。

これらによれば、長良川上流断層帯の歴史時代における断層変位を示す具体的な記載は認められない。

記載としては天正地震,濃尾地震,岐阜県中部地震についての記載が多い。天正地震については震度Yの範囲が広範囲であるため、起震断層は特定されていない。濃尾地震については、根尾谷断層に断層崖が出現し起震断層が特定されている。岐阜県中部地震については、起震断層が不明であるが文献Aで八幡断層・二日町断層の北部約10km地点に震源が図示されており、長良川上流断層帯との関連は低いと考えられる。1972年の地震については、八幡断層西側約5kmの九頭竜湖付近が震源と考えられている。

また、第四紀以降及び更新世後期以降の活動性については、前章の表2−1−2−5にも断層の分布とともに示されている。これによれば二日町断層を除いて、第四紀以降の活動を示唆する記載や図が示されている。しかし、八幡断層の第四紀層と考えられる崖錐を切った断層露頭の他には、信頼性のある記載は認められない。

したがって、断層の活動性についても今後の調査により明らかにしていく必要がある。

特筆しておくべき文献としては、白鳥町(1996):活断層調査委託報告書がある。この報告書では、大規模工業団地の計画にともない、予定地に分布すると考えられている大野断層の実在性を検討することを目的としている。この報告書では、先ず空中写真判読により大野断層と考えられるリニアメント抽出し、次に抽出されたリニアメントを対象に地表地質精査・電磁気探査・磁気探査・自然放射能探査・電気探査・ボーリング調査を実施している。最後に調査結果を総合的に判断して大野断層の実在性を検討している。なお、報告書には、小井土由光(当時岐阜大学教育学部助教授)氏により、調査結果に対する所見が記されている。

大野断層の評価に関しては、この報告書の調査精度や結果の評価が有効となると考えられる。

また、この報告書には、補足資料として那留集落二反田での和田川改修工事に伴って出現した那留断層の断層露頭状況(写真及び解釈図)が示されている。これに示されている那留断層の変位方向(相対的に南西落ち)と活断層研究会(1991)に示されている変位方向(相対的北東落ち)とが異なる。那留断層調査においては、この断層露頭状況の直接的な再確認及び評価が重要であると考えられる。

既存資料の収集時に新編日本の活断層(活断層研究会(1991))を携帯しての現地予察を行った結果、大野断層については断層線推定位置の北方にこれを横断する方向で東海北陸自動車道の切り土法面が建設中であり、法面の詳細観察を行えば活動性評価まで行える可能性が高いことが明らかになった。

図2−1−2−2 古代〜1884年に岐阜県地域周辺で起こった被害地震の震央分布(小井土・佐々木,1995)

図2−1−2−3 1885年〜現在に岐阜県地域周辺で起こった被害地震の震央分布(小井土・佐々木,1995)

表2−1−2−6 岐阜県地域周辺で起こった大きな歴史地震(小井土・佐々木,1995)

図2−1−2−4 岐阜県周辺の微小地震・極微小地震の震源分布(1980,1〜1983,10)(小井土・佐々木,1995)