(2)長町−利府線(北部地域)

本調査地北部地域の地表踏査では、長町−利府断層の本体を発見できなかったが、断層近傍の地質構造は、断層の存在を示唆するものである。以下に北部地域における長町−利府線について記述する。

1)断層の位置

 放森付近から岩切付近まで長町−利府線に沿ってNL−3、5、6、7の4本のリニアメントが判読される。NL−1リニアメントはほぼNSに延びるもので、方向的に長町利府断層に斜交している。NL−2及びNL−4リニアメントはそれぞれNL−3及びNL−5リニアメントに平行して丘陵内側に位置しているが、長町−利府線から離れている。

 NL−3リニアメントは、放森付近から春日付近まで続くいくつかの直線谷の配列によって判読される。このリニアメントに沿って亀岡層が点在し、春日付近では最大約23゜で南東側へ傾斜し(写真2−19)、さらに瓦焼場付近ではさらに南東側に急傾斜し約70゜に達している(写真2−20写真2−21)。これらの急傾斜部は、長町−利府線の断層運動に起因して形成されたものと考えられ、急傾斜部南東側に近接した位置に長町−利府断層が存在するものと考えられる。瓦焼場北方では、走向傾斜N84゜E26゜N、見かけの落差2.5mの逆断層(写真2−22写真2−23写真2−24)がみられるが、これは長町−利府断層の派生断層と考えられる。大日向−放森間のNL−3リニアメントに沿っては地層の変位が認められないことから、長町−利府線の北東端は大日向付近にあると考えられる。

 NL−5リニアメントは、森郷から八幡崎に判読される半島状の丘陵と沖積平野との直線的な南東向きの急斜面に沿って判読される。この丘陵を刻んで北西方向に流下するいくつかの谷は急斜面上部で谷頭部が切り落とされたさい頭谷状となっていることから、NL−5リニアメントは構造性のものであると判断される。NL−6リニアメントは神谷沢付近の直線谷として判読される。また、NL−7は化粧坂付近−若宮間のNL−7リニアメントは丘陵と沖積平野との直線的な境界である。上記3本のリニアメントは構造性のものである可能性が高い。しかし、すでに述べた新幹線車両基地付近の直線的埋没谷の存在を考慮したとき、長町−利府線はこちらに伏在するとみなした方がよい。したがって、春日以南では、長町−利府線はこれらのリニアメントの南東方の沖積面下に伏在するものと考えられる。

2)断層付近の地質構造

 図2−5−1図2−5−2に、長町−利府線と直交する方向に位置する、A−A´断面図(放森付近)、B−B´断面図(瓦焼場付近)、 C−C´断面図(春日付近)、D−D´断面図(菅谷付近)、及びE−E´断面図(神谷沢付近)を示す。また、図2−6−1図2−6−2に春日−瓦焼場間の亀岡層の変位についての詳細断面図@−@´(放森)、A−A´(瓦焼場)、B−B´(瓦焼場東方)、C−C´(金生)、D−D´(春日)を示す。以下に各断面図について説明する。

@A−A´断面図(放森付近)

 幡谷層と番ヶ森山層が番ヶ森山背斜と放森向斜を成し、南東側の三畳紀利府層に高角でアバットしている。NL−3リニアメントは幡谷(Hy4)層に刻まれた谷に位置しているが、この部分では地層の変位は確認されない。

AB−B´断面図(瓦焼場付近)

 長町−利府線の北西側には中新世の幡谷層、番ヶ森山層、七北田層及び鮮新世の亀岡層が分布する。この区域には北西側から番ヶ森山背斜、放森向斜及び春日背斜が発達する。 NL−3リニアメントの南東側には中生代三畳紀の利府層、中新世の塩釜層が分布する。前述のように、長町−利府線に最も接近する春日背斜東翼の瓦焼場付近では、亀岡層の最大傾斜は約70゜に達している。詳細断面図(図2−6−2)のA−A´断面によれば、亀岡層基底の分布高度は、想定される長町−利府線を境に、北西側が80〜100m高い。これが長町−利府線の総垂直変位である。しかし、A−A´断面図から見積もられる断層による変位は18m未満にすぎない。

BC−C´断面図(春日付近)

  NL−3リニアメントの北西側には中新世の塩釜層、幡谷層、番ヶ森山層、佐浦町層、七北田層及び鮮新世の亀岡層が分布する。その南東側には中生代三畳紀の利府層、中新世の塩釜層、佐浦町層及び鮮新世の亀岡層が分布する。番ヶ森山背斜、放森向斜及び春日背斜は、この断面図でも明瞭である。

 図2−6−1図2−6−2のD−D´詳細断面図からは、春日での亀岡層基底とその東方に分布する亀岡層から外挿した基底高度との間に約12mの差があり、断層変位が想定される。他方、春日の亀岡層は、西に向かって平坦になるにもかかわらず、その西側の小沢の西方の比高50mの丘陵には分布しない。したがって、この小沢に沿って想定される断層の方が変動量が大きく、こちらの方が長町−利府線本体とみなせる。上記の2つの想定断層を合わせた垂直変位量は62m以上ということになる。春日南側の沖積平野には標高−28mの埋没谷が存在し、長町−利府線はこの位置に想定される。

CD−D´断面図(菅谷付近)

 番ヶ森山背斜南東翼の幡谷層、番ヶ森山層及び七北田層が30〜40゜の急傾斜帯を形成している。とくに利府町菅谷付近では、中新世七北田層や番ヶ森山層が最大傾斜60゜の急傾斜を示している。その東側の飯土井付近には放森向斜が延長してきている。さらにその東側は沖積層で覆われていて、地質構造は不明である。しかし、新幹線車両基地付近の北東方向の直線的埋没谷は長町−利府断層の構造谷であると考えられる。

DE−E´断面図(神谷沢付近)

 神谷沢北西側では地層はほぼ水平に分布しており、南東側では5゜程度沖積平野に向かって傾斜している。この構造は番ヶ森背斜の南西延長部にあたる。沖積平野には標高−80mに達する埋没谷が存在し、長町−利府線はこの位置に想定される。

 なお、付図1地質図及び上記の地質断面図に示す通り、北西側の富谷丘陵には中新世中期から後期の志田層群が分布しており、長町−利府線を挟んで南東側の塩釜丘陵には先第三紀基盤岩類や中新世前期の松島湾層群が分布する。中新世中期から後期の地層は、北西側で顕著に厚くなっている。このことから、長町−利府線は、北西落ちの正断層と考えられたことがあった(Hanzawa et al.,1953)。しかも、この地域一帯には中・後期中新世に形成された北東−南西方向の正断層性小断層が多数発達している(写真2−24−1)ことから、この考えは妥当である。一方、今回の調査結果としては、B−B´とC−C´断面図で記述したように、北西上がりの断層が推定される。以上の事実により、現在の長町−利府線は、鮮新世以前に形成された西傾斜の正断層が、第四紀の水平圧縮応力場の下で北西上がりの逆断層として再活動した(インバージョン テクトニクス)ものであることが示唆される。

3)断層の評価

(1)断層の位置及び長さ

 北部地域における長町−利府線の北限は、利府町大日向より北方の中新統を変位させていないことから、大日向付近にあると判断される。大日向付近からその南方の春日付近に至る長さ約3kmの区間では長町−利府線はNL−3リニアメント南東近傍に沿って存在し、春日以南では沖積面下に伏在すると考えられる。北部地域における長町−利府線の長さは約9kmである。

(2)断層の平均変位速度

 図2−6−1図2−6−2の詳細地質断面図から長町−利府線の総垂直変位量は、西上り80〜100mである。大槻ほか(1977)によると、長町−利府線の活動開始時期は45万年前であり、これから算出された平均変位速度は約0.2m/1,000年(B級)となる。