(1)地質概査

1) 地質概要

調査地に分布する岩石等は、古い時代から概ね以下のように大別される。

・美濃帯に属する中・古生層(ペルム〜ジュラ系)、及びそれらを貫入する白亜紀貫入岩類

・新第三紀中新世堆積岩類(千種層)

・鮮新世−更新世東海層群(奄芸層群)

・段丘堆積物及び扇状地堆積物

・沖積層及び新期扇状地堆積物

本調査地に分布する中・古生層は、調査地西側の鈴鹿山脈を形成している地層であり、岩相上の特徴から緑色岩類・石灰岩を主体とする緑色岩類−石灰岩相、砂岩・泥岩を主体とする砕屑岩類、及びこれらを貫入する花崗岩類から構成される。これらは地体区分上、美濃帯に属する。

新第三紀中新世堆積岩類は、鈴鹿山脈東縁部の中・古生層と鮮新−更新世東海層群に挟まれて狭小に分布する。この地層は千種層と呼ばれ、主として泥岩、砂岩、凝灰質泥岩等から構成される。

東海層群は、鈴鹿山脈の東側に分布し、西側の中・古生層及び新第三紀中新世の地層とは、断層(一部不整合)で接している。東海層群はその層相から、湖沼〜河成堆積物と考えられ、泥(シルト)、砂、礫等から構成される。新第三紀鮮新世〜第四紀更新世の比較的新しい地層であるため、その堆積構造は、大局的には、水平〜低角度の傾斜を示すが、本調査範囲の、境界断層系の東側に分布する前縁断層系によって囲まれた東海層群は、地層が中〜高角度で東側に傾斜している。また、断層近傍では著しく変形を受けており、地層が逆転している部分も認められている。

段丘堆積物及び扇状地堆積物は、主として丘陵地に分布する東海層群を覆うようにして分布する。段丘堆積物は、調査地の主要河川沿いに分布するが、特に員弁川及びその支流(青川、宇賀川等)域で顕著に発達して分布する。いずれも数段の段丘面を形成している。

扇状地堆積物は、鈴鹿山脈東縁部の丘陵地に断片的に分布するが、特に、「水沢扇状地」で代表されるように、菰野町田光より南側の四日市市、鈴鹿市の西側、山脈東縁部の丘陵地で広く分布する。これら堆積物はいずれも鈴鹿山脈を供給源とし、その後背地の地質を反映した層相を示している。

沖積層は、主要な河川に沿って分布する。特に員弁川沿いには、氾濫源が広く分布する。新期扇状地堆積物は、主として山地と丘陵地の境界付近に分布する。その規模は小さく局所的に堆積しているものがほとんどである。

本調査地に分布する地質の総括的な表を「地質層序総括表」として、表2−2−3−1に示す。また調査地の地質平面図(縮尺:1/25,000)を付図3として添付した。

断層は鈴鹿山脈と丘陵地の境界付近に境界断層系が分布する。境界断層系は、中生代の地層と新第三紀の地層を境する地質断層であるが、後述の第四系を切り、また変形を与えている露頭が確認でき、一部で第四紀後半の活動が示唆される。

調査地北部の北勢町から菰野町にかけては、境界断層系の東側で断続的に段丘面を変位させる活断層が分布する(たとえば太田・寒川,1984等)。この断層は、文献によって名称が異なるが、本報告では前述のように一括して前縁断層系と呼ぶことにする。前縁断層系の断層露頭は、東郷・岡田(1989)で示された大安町丹生川の露出のほかに、大安町石榑北山(後述の露頭観察記録D−2参照)では、前縁断層に付随した変位方向の異なる高角逆断層が確認されている。

なお、調査地の地質概要を取りまとめるために、踏査結果の他に、以下の図幅を参考にした。

・地質調査所の5万分の1図幅「彦根東部地域の地質」(宮村ほか,1976)

・地質調査所の5万分の1図幅「亀山地域の地質」(宮村ほか,1981)

・地質調査所の5万分の1図幅「御在所山地域の地質」(原山ほか,1989)

・地質調査所の5万分の1図幅「桑名地域の地質」(吉田ほか,1991)

表2−2−3−1 地質層序総括表

2) 地質各説

@ 中・古生層及び貫入岩類

調査地での二畳紀〜白亜紀にかけての堆積物は、主に岩相上の特徴から、緑色岩・石灰岩類、泥岩・砂岩の砕屑岩類及びこれらに貫入する花崗岩類に区分される。一方、調査地を北側から概観すると、藤原町から大安町宇賀川付近までの後背地は、主に緑色岩類・石灰岩が分布する。ここでの緑色岩−石灰岩類は、霊仙山層と呼ばれ、わずかにチャートを含む。大安町から菰野町との町境付近の後背地は、主に愛知川層群と呼ばれる泥岩を主体とする砕屑岩が分布する。その砕屑岩の分布は、菰野町の田光川付近までで、それより南側の湯の山温泉付近までは、主に花崗岩類の貫入岩体が分布する。これらのうち、湯の山温泉付近には、鈴鹿花崗岩中の黒雲母花崗岩が分布する。

湯の山温泉より南側から四日市市にかけては、菰野層群と呼ばれる泥岩及び砂岩の砕屑岩類を主体とするが、調査地最南の亀山市付近では、花崗岩類が分布する。

以下、岩相の区分に従って分布と特徴を記す。

イ) 緑色岩・石灰岩類(Ry)

本調査地に分布する緑色岩・石灰岩相は、霊仙山層と呼ばれる(宮村他,1976)。霊仙山層は、本調査地北部の藤原岳を中心に南北に分布する。藤原岳の南側では、本層は、砕屑岩からなる愛知川層群に接する。また、大安町西方の竜が岳頂上付近では、クリッペとして愛知川層群の上に載っている。

本層は、玄武岩質の溶岩、凝灰岩を主体とする緑色岩類と、石灰岩を主体 とし、チャートとわずかの泥岩を伴う。石灰岩は、花崗岩の貫入によって熱 変質を受けており、結晶質石灰岩となっている。

ロ) 砕屑岩類(Sd)

本調査地域の砕屑岩類は、大安町〜菰野町の西側で愛知川層群黄和田層が、鈴鹿市西方で菰野層群入道ガ岳層及び雲母峰層が分布する。本報告ではこれらは一括して砕屑岩類として図示した。

砕屑岩類を構成する岩相は、砂岩、泥岩、石灰岩、チャートを主体とする。泥岩は黒色を呈し、層理が発達する。部分的に珪質泥岩となる場合がある。砂岩は、泥岩中に厚さ数mのレンズ状の岩体として分布し、互層の形態をとらない。また、薄層として分布する。チャートは、泥岩中で厚さ数mのレンズ状の岩体として分布するほか、10m以上の岩体として泥岩中に挟まれる。石灰岩は、数m程度の岩体として極まれに挟まれる。

ハ) 花崗岩類(Gr)

本調査地域の花崗岩類は、大安町西方石榑峠付近を北端とし、南側の御在所岳、調査地南端の野登山付近まで鈴鹿山脈の中軸部に連続して分布する。これらは、いわゆる”鈴鹿花崗岩”と呼ばれ、粗粒黒雲母花崗岩を主体としているが、宮村他(1981)は、詳細な調査により複数の岩体を区分した。ただし、本報告では、一括して”花崗岩類”として図示した。

鈴鹿花崗岩は、鈴鹿山脈の中軸部に分布する。粗粒黒雲母花崗岩を主体とし、場所により中粒、細粒の黒雲母花崗岩に移化する。

調査地南端には、野登山花崗閃緑岩が分布する。野登山花崗閃緑岩は、細〜中粒、塊状の黒雲母花崗閃緑岩を主体とし、黒雲母花崗岩、角閃石黒雲母トーナル岩等の岩相を含む。この岩体は、圧砕作用を被っていることを特徴とする。

A 新第三紀中新世千種層(C)

松井(1943)発見命名。分布は菰野町杉谷川沿いの花崗岩類と接する付近から南側三滝川南方にかけて、断層に挟まれて南北方向に狭小に分布する。吉田(1987b)は、尾高高原砂岩層、杉谷川泥岩層、朝明川砂岩・泥岩層に細区分した。既存の文献から、本層の堆積年代は産出した動物化石から中新世前期末〜中期初頭と考えられている。なお、本報告では、上記区分を一括して、“千種層(C)”として扱うこととした。

B 新第三紀鮮新世〜第四紀更新世東海層群(奄芸層群)

東海層群は、中・古生界及び、新第三紀中新世の堆積岩を基盤として、鈴鹿山脈の東側に広く分布する新第三紀鮮新世以降の堆積盆地に堆積した湖成〜河成層である。同時代の堆積物として、大阪層群や古琵琶湖層群等があげられる。調査地には、主に鮮新世後期から更新世前期の堆積物が分布する。

本報告では、既存の文献に示された区分に従って、本調査地に分布する東海層群を、朝明川を境に北部と南部に分けて説明する。朝明川を境にして北側に分布する東海層群は、下位より、美麓、石榑、古野、多志田川、大泉及び米野累層に区分される。一方、朝明川の南側の調査地に分布する東海層群は、下位から、西行谷礫層、亀山累層、桜村累層(湯の山礫相)に区分される。桜村類層と湯の山礫相は同時異相関係にある。また、本報告では、桜村累層を一括して扱った。以下朝明川以北と以南に大別し、各累層について説明する。

B−1 朝明川以北に分布する東海層群

イ) 美鹿累層(Tb)

松井(1943)命名記載。東海層群が先新生界に接する付近の幾つかの層準に局所的に分布する。先新生界に対してアバット不整合で載る。層厚は、多志田川南支流で約65m、他の地点では4m前後である。岩相は、中〜古生層の角礫〜亜円礫を含み、同じく中〜古生層起源の泥質細粒砂を基質とする礫層を主体とする。本調査範囲では、宇賀川と多志田川に分布する先新生界の上位に、不整合でアバットしているのを確認した。

ロ) 石榑累層(Ti)

吉田(1989)命名記載。石榑から青川付近まで分布し、先新生界に不整合に載る。層厚は100m以上。亜円礫〜円礫が密集した礫層を主体とする。礫種は、中〜古生層礫、湖東流紋岩類、鈴鹿花崗岩類からなる。基質は、中粒〜細粒砂を主体とする。

ハ) 古野累層(Tk)

松井(1943)命名記載。石榑南より北方に分布する。層厚は約70〜140mである。泥層が主体をなすが、まれに砂層や礫層を含む。また、泥層中にしばしば、シルト層〜砂質シルト層、亜炭層を挟む。

ニ) 多志田川累層(Tt)

吉田(1989)命名記載。藤原町西野尻から尾高高原まで南北に延びて分布する。福王山東麓では、先新生界に直接、不整合で重なる。層厚は430〜560mである。大部分が礫層と泥層からなる。礫層は厚さ数m〜数10mで成層構造が比較的発達する。礫は中〜古生層、湖東流紋岩類、鈴鹿花崗岩の円〜亜円礫を主体とし、中礫〜大礫を普通に含む。泥層の層厚は数m〜数10mで砂質シルト〜粘土を主体とする。

ホ) 大泉累層(To)

松井(1943)命名記載。西野尻から尾高高原にかけて広く分布する。層厚は480〜780mである。泥層及び砂層を主体とし、礫層〜砂礫層を伴う部分も認められる。全体には泥層が卓越して分布する。本層は、朝明川以南に分布する桜村累層及び湯の山礫層に対比される。

ヘ) 米野累層(Tm)

安田(1956b)命名記載。調査地最北部の藤原町から北勢町麓村、菰野町杉谷にかけて分布する。層厚は、北勢町麓村で約200m、菰野町杉谷で約120mである。北部の藤原町、北勢町と南部の菰野町では、層相がやや異なる。藤原町、北勢町では、礫層と泥層の互層からなる。礫層は中〜古生層を主体とし、少量の花崗斑岩を含む。礫は上方に向かって大きくなり、上部では、大礫を含む。基質は泥質細粒砂を主体とする。泥層の厚さは数10cm以下で褐〜灰白色を呈する。一方、菰野町杉谷では、厚さ数m以下の礫層、砂層、泥層からなる。礫層の基質は、粗〜極粗粒砂を主体とし、礫は全般に小さく、淘汰も良い。礫種は中〜古生層を主体とするが花崗岩礫もわずかに含まれる。

B−2 朝明川以南に分布する東海層群(相当層)

イ) 西行谷礫層(As)

鈴木他(1948a)命名。赤嶺他(1951)記載。本調査範囲では、最南部の亀山市安楽から南畑西方にかけて分布する。基盤である鈴鹿花崗岩類に不整合で接する他、南畑西方では基盤にアバットしている。上位の亀山累層とは漸移整合の関係にある。亜円〜円礫がやや密集した礫層を主体とする。礫種は、中〜古生層のチャート、泥岩、ホルンフェルスを主体とし、石英斑岩、少量の花崗岩類、砂岩礫を含む。礫種は後背地の地質を必ずしも反映しておらず、本調査地域では、基盤が花崗岩類であるにも関わらず、本礫層中には花崗岩類はほとんど含まれていない。本層の層厚は150〜280m程度である。

ロ) 亀山累層(Ak)

鈴木他(1948a)命名。赤嶺他(1951)記載。本層は、岩相の違いから、上部、中部、下部に細区分されているが、本報告では一括して取り扱う。本層は、粘土優勢の粘土、シルト、砂の互層からなり、それぞれの層厚は、数m〜10数mである。粘土・シルト層は、青灰色〜青緑色を示し、風化すると径数cmのブロック状に割れる。砂層は中粒砂と粗粒砂に分けられ、一部では礫層が挟まれる。下位の西行谷礫層及び上位の桜村累層とは整合関係にある。

ハ) 桜村累層(Ass)及び湯の山礫相(Ay)

松井(1943)命名記載。宮村他(1981)再定義。宮村他(1981)は、四日市丘陵西部に分布する火山灰から桜村累層の層序的位置づけを明確にし、本層を内山互層、乱飛粘土層、桜台砂層、宿野互層、西菰野互層に再定義し、湯の山礫相と併せて6層に層区分した。これらのうち本調査範囲付近には、桜台砂層、宿野互層、西菰野互層が分布するが、本報告では、これらを一括して扱うこととする。桜台砂層は、細礫を含む厚い粗粒砂層を主体とし、一部に連続性の悪い粘土層、シルト層を挟在する。砂層には平行葉理、斜交葉理が発達する。礫は、径1〜2cm以下のものがまばらにばらまかれており、これらの大部分は、チャートの円礫を主体とする。上位の宿野互層とは整合で重なる。層厚は約90m。

宿野互層は、粘土・砂層の互層を主体とし、シルト層を伴う。全般的に粘土層が優勢。粘土層・砂層は共に厚さ数m〜10数mであるが、シルト層は1〜3mと薄い。粘土層は青緑色を呈するものが多く、砂層は葉理の発達した中粒砂〜粗粒砂層である。

西菰野互層は、細礫を含み、平行葉理、斜交葉理が発達した厚い粗粒砂層と粘土層が互層し、シルト層を伴う。しかし、湯の山礫相に近づくと粘土層、シルト層の挟みは少なくなり、それらの連続性が悪くなる。層厚は上限が不明であるため明らかでないが、見かけ80m以上に達すると推定される。

湯の山礫相(松井,1943記載、宮村ほか(1981)再定義)は、三滝川北方の湯の山ゴルフ場付近から、四日市市水沢にかけて、鈴鹿山脈山麓に点々と露出する。層厚は、140〜400mで分布の東端は厚さ数10cm〜数mの礫層と泥層からなり、桜村類層に移化する。礫は中・古生層、湖東流紋岩類、鈴鹿花崗岩類からなり、礫の淘汰は比較的良好である。

C 第四系

調査地には、鈴鹿山脈を源流とし、東西に東流する河川に沿って、比高の異なった段丘面が多数形成されている。段丘面は、員弁川及び東西に東流する河川の現河床面を基準面として大きく低位、中位、高位及び最高位に区分される。また、各段丘面は地域によってさらに細分される。従来の研究との段丘面対比を表2−2−3−2に示す。

各段丘の堆積物は、砂礫層が主体をなし、一部で砂層を挟在する。また、砂礫層を構成する礫は、一般的には後背地を構成する岩石に左右されている。各段丘堆積物の層相の特徴は、次のようにまとめられる。

イ) 高位段丘堆積物(H)

鈴鹿山脈東縁の丘陵地頂部の所々に平坦面を形成して分布する。なお「御在所山」図幅(1989)に記載されている切畑礫層もここに含めた。

宇賀川より南側に分布する砂礫層は、花崗岩の大礫(ほとんどくさり礫)を多く含み、基質も花崗岩起源の粗砂を主体とする。一方、宇賀川より北側に分布する砂礫層は、崖錐性の堆積相を示し、中・古生層の砕屑岩類を起源とする亜角〜角礫のくさり礫を多く含む。基質も泥質の中〜細砂を主体とする。表層部には、明赤褐色〜赤褐色の古赤色土を伴うこともある。

ロ) 中位段丘堆積物(M)

員弁川等主要河川に沿って分布する河成段丘堆積物と、山麓等に形成された扇状地性段丘堆積物に大別される。

河成段丘堆積物は、北勢町〜大安町にかけて分布する。これらは原面の保存は良好である。堆積物は、薄い褐色風化皮膜を形成する礫(亜円〜亜角礫)が認められ、表層部には明褐色〜褐色の古赤色土を伴うことがある。礫種はチャート、花崗岩、砂岩・泥岩であり、ときおり花崗岩の大礫を伴う。また、砂層が挟在するところもある。基質は泥質分を含む砂を主体とするが、後背地に花崗岩が分布するところでは、花崗岩質粗砂である場合が多い。 層厚は、5m程度である。

扇状地性段丘堆積物は、菰野町西部から四日市市から鈴鹿市にかけて鈴鹿山脈の山麓に広く分布する。礫は、チャート、粘板岩、ホルンフェルス等の角〜亜角礫を主体とする。礫は、比較的新鮮であるが、下位部分では一部くさり礫を伴うことがある。基質は、泥質の中〜細砂を主体とする。また、四日市市に分布する水沢扇状地堆積物は、最古期、古期、中期扇状地堆積物に区分され、それらは、それぞれ、表2−2−3−2での吉田(1991)の高位T、高位U及び中位Tに対比されている。

ハ) 低位段丘堆積物(L)

調査地の主要な河川に沿って分布する。堆積物は、チャート、砂岩等の亜角〜亜円礫を含み、砂〜シルト混じり砂を基質とする。表層の赤色化や礫の風化皮膜の発達はみられない。中位段丘面と同様、後背地に花崗岩が分布する地域では、花崗岩礫を多く含み、基質も花崗岩質粗砂であることが多い。層厚は、2〜5m程度である。

ニ) 新期扇状地堆積物(f)及び沖積層(a)

新期扇状地堆積物は、鈴鹿山麓沿いに分布し、後背地から供給される角礫(花崗岩の場合は亜円礫であることが多い)を多く含む。礫の大半は新鮮である。分布は、谷の出口付近に小規模に分布する。

沖積層は、氾濫平野堆積物や谷底平野堆積物として、河川沿いに分布する。主に砂礫からなり、一部、朝明川沿い等は花崗岩の巨礫を伴う。

3) 地表踏査で確認された断層露頭

地表踏査で確認された断層露頭一覧を表2−2−3−3に示す。また、断層露頭位置図を図2−2−3−1に示す。

以下、各地点の概要を示す。

@ F−1地点(露頭観察記録表F−1参照:断層露頭)

イ) 地名・地形

藤原町山口北西;員弁川支流河内谷川沿い、標高180m。中位段丘面(M面)が、流路沿いに発達する。河内谷川の南側の中位面には、やや不明瞭ながら北西−南東方向の低崖地形が連続する。

ロ) 地質

河床右岸側の露頭。東海層群の礫層(礫率10%,礫種:チャート,頁岩等,基質:褐色シルト)と中・古生界が低角の逆断層で接している。低角逆断層面の走向傾斜は、N35゜W20゜Sである。中・古生界は、かなり破砕され、粘土化も著しい。破砕幅は約4mであるが、この露頭だけでなく、南側の道路をはさんで比高約5〜6m高い位置にも分布しており、数条の破砕帯が分布すると推定される。東海層群の地層構造は、N20゜W50゜Wの走向傾斜を示す。東海層群中にも、やや高角の小断層が存在し、この断層面は主断層による引きずりが認められる。低角逆断層は、東海層群と中・古生界の上位を不整合に覆う段丘堆積物に変位を与えている。変位量は、段丘堆積物の基底面を基準として鉛直に約60cm程度である。この低角逆断層は、既存資料による境界断層系の延長に位置しているが、断層の性状はかなり低角で、新しい段丘堆積物に変位を与えており、前縁断層系の延長である可能性も推定される。

図2−2−3−1 断層露頭位置図

A F−2地点(露頭観察記録表F−2参照)

イ) 地名・地形

藤原町西野尻;員弁川支流砂川沿い、標高150m。

低位段丘面(L1面)が、流路沿いに発達し、露頭位置は、それよりやや高い中位段丘面(M2面)に位置する。低位面の西野尻集落周辺では、不明瞭ながら北西−南東方向に低崖地形がやや連続する。

ロ) 地質

河床右岸の露頭。東海層群の礫層を不整合に被覆して、中位面を構成する段丘堆積物が分布する。東海層群は、円〜亜円礫のチャート、砂岩、花崗岩等の礫からなり、礫含有率は、約80%程度である。基質は、シルト混じり細粒砂である。礫層中には、シルト質砂が挟在しており、その走向傾斜は、NS80゜Wである。東海層群は、やや締まっているが、固結度はさほど高くない。

中位段丘堆積物は、茶褐色のややルーズな段丘礫層で、礫種は砂岩、頁岩、チャート等で、礫含有率は、約40%である。基質は、粘土質砂〜シルトである。この河川上流の標高190m付近から、地形変換線が明瞭になり、その付近で下流側に東海層群、上流側に中・古生界の砂岩等が分布する。直接の断層露頭は、よう壁工が施工されており確認できないが、地形・地質的にみても、断層の存在を示唆している。

B D−1地点(露頭観察記録表D−1参照:断層露頭)

イ) 地名・地形

大安町石榑北山西方;青川右岸側山地部採石場、標高340m。

この地点の北側に、東北東方向に連続する中位面(M面)と南側に高位面(H面)が認められる。この露頭周辺では、ほぼ南北方向に地形変換線がみられる。

ロ) 地質

地形変換線付近の露頭。採石場で人工改変され段切りした箇所に露出する。東海層群石榑累層の礫岩と中・古生界の石灰岩が逆断層で接する。原岩不明の破砕帯を伴い、粘土を僅かに挟む。破砕幅は4m以上である。断層面の走向傾斜は、N16゜W50゜Wである。

断層付近の東海層群の構造は、礫の並びからN12゜E75゜Eの走向傾斜を示す。東海層群中にも副断層状に比較的低角の断層がみられ、その走向傾斜はN70゜W25゜Sである。

これらの断層は、境界断層系にあたり、新しい地形面等を変位させたり、未固結層を切っているかは不明である。

C D−2地点(露頭観察記録表D−2参照:断層露頭)

イ) 地名・地形

大安町石榑北石加神社南側;空川中流域、標高120m。

この露頭の東側は、低位面(L面)が広がっている。露頭の東側には、低位面と東海層群の分布する丘陵との間付近にほぼ南北に連続する、低崖地形が認められる。

ロ) 地質

東海層群中の断層露頭である。この露頭の東側の連続する低崖地形は、太田・寒川(1984)の麓村断層系に連続するもので、この露頭は、それよりも西側に分布する。この露頭では、断層の変位方向は明らかでないが、地形形状を考慮する(近傍に分布する崖地形から)と、この露頭での断層は、上盤側が隆起する逆断層の可能性が高い。断層面の走向傾斜は、N10゜E62゜Eである。断層の破砕幅は、非常に薄く、面も密着しているが、断層粘土を伴う。下盤側のシルト層は軟質化している。

東海層群は、礫層とシルト層の互層であり、この露頭より山側では、走向N24゜Eで、35゜Eの傾斜を示すが、この露頭では、N40゜E50゜Eと傾斜が高角になっている。ここでの東海層群は、大泉累層に対比される。

この露頭では、第四紀層を変位させているかどうかは、不明である。

D Ko−1地点(露頭観察記録表Ko−1参照:断層露頭)

イ) 地名・地形

菰野町千草西方;三重カントリークラブ北方、標高196m。

この露頭周辺では、中位面(M1面)がほぼ東西に舌状に広くひろがり、中位面の中でも北側は、やや低い(M2面)。より北方には、沖積面がひろがる。各面沿いでは、低崖地形等は確認されない。

ロ) 地質

この露頭より東側の沖積地との境界付近には、東海層群の礫混じり砂質シルト層が分布する。この露頭では、東海層群より下位に分布する、中新世の千種層と貫入岩類の花崗岩が逆断層で接している。破砕幅は、粘土で5cm程度で、断層面の鏡肌は明瞭である。花崗岩類は、かなりの幅にわたって白色変質をうけて粘土化しており、熱水による変質をやや受けている。断層面の走向傾斜は、N3゜E58゜Wである。千種層は、やや風化しており、新鮮部にくらべ柔らかい。千種層の上位には、かなりルーズな砂礫層が分布する。礫はチャート、砂岩、花崗岩等からなる角礫を主体とし、基質はルーズな砂からなる。この砂礫層は、沢沿いに分布する崖錐性堆積物と推定され、逆断層によって切られている。ただし、周辺の地形に明瞭な変位地形等は認められない。断層は、より南側の三滝川の支流鳥井戸川付近までほぼ南北に追跡できる。たとえば、竹谷川沿いでは、標高184m付近で、N33゜E60゜Nの逆断層で、花崗岩類と千種層が接しており、また鳥井戸川の左岸側支沢では、標高190m付近で、N30゜E60゜Nの逆断層で中・古生界のチャートと千種層が接している。

いずれも新しい堆積物を切っていたり、変位させたりしている露頭は、不明である。この断層系は、太田・寒川(1984)のT−5の活断層の南の延長と推定される。

E Ko−2地点(露頭観察記録表Ko−2参照:断層露頭)

イ) 地名・地形

菰野町湯の山神明南側;湯の山温泉駅北西三滝川沿い、標高164m。

三滝川をはさんで北側は、低位面(L1面)、露頭のすぐ下流側は、中位面(M面)が分布する。三滝川北側では、やや明瞭な変位地形が北に向かって連続する。この露頭より南側では、明瞭な変位地形や低崖地形は認められない。

ロ) 地質

東海層群の礫層と中・古生界の頁岩が、逆断層で接する。断層の破砕幅は、約20〜30mであり、粘土や角礫帯が充填する。断層面の走向傾斜は、N20 ゜E45゜Wである。東海層群の礫層は、礫種は、頁岩、砂岩、チャート、花崗岩であり、円〜亜円礫からなり礫含有率は約50〜60%である。基質は、細粒砂である。礫層中には、砂層が挟在する。礫層の構造は、断層から離れた位置では、N15゜〜20゜E15゜〜40゜E、の北側の地域と同様の走向、傾斜を呈するが、断層近くなると、変形しており、礫の並びからみた、走向傾斜は、N50゜〜70゜E30゜〜40゜Wの逆傾斜になる。ここでの東海層群は、桜村累層湯の山礫相に対比される。中・古生界の頁岩は、かなり破砕質で粘土化している。

変位地形やこの断層によって新しい地層を変形させているかは不明である。

F Ko−4地点(露頭観察記録表Ko−4参照:断層露頭)

イ) 地名・地形

菰野町茶屋ノ上;金渓川支沢、標高220m。

山体に近接するため、崖錐堆積物によって構成される堆積面が形成されている。地形面上での変位地形や低崖地形は認められない。

ロ) 地質

この露頭では、東海層群の礫層と千種層が、高角の断層で接する。破砕幅は、約2m、充填物は、約60cmの幅で粘土等が挟在する。断層面の走向傾斜は、N2゜〜10゜E80〜85゜Wである。東海層群は、礫種が頁岩、チャート、花崗岩等の円〜亜円礫で、基質は、やや固結したシルト質細粒砂である。 千種層は、灰色塊状のシルト岩で、かなりボロボロになりやすい。これらを被覆して、角礫を主体とした、崖錐堆積物が分布するが、この崖錐堆積物は、断層による変形は認められない。

5) 地質構造

本節では、本調査結果及び既存の文献(地質図幅等)から、調査地中央部を流下する三滝川を境に北部と南部で地質構造に違いが認められるため、ここで北と南で分けて検討することとする。

@ 三滝川以北の地質構造

地表地質踏査及び地質図幅を引用して図2−2−3−2に示すような東海層群(千種層も含む)の走向線図を作成した。この図から、以下のことが推察される。

・境界断層系と前縁断層系(太田・寒川,1984の麓村断層等)に挟まれた東海層群は30〜40゜以上の傾斜を示し、各断層の近傍では60゜以上(一部では逆転している)の傾斜を示している。断層近傍で地層が急傾斜を示すのは、地層の撓曲構造を反映しているものと推定される。

・地層の急傾斜構造を示す範囲は、大局的には、調査地北部の藤原町から南は菰野町湯の山にかけて、紡錘状に分布すると推定される。ただし、大安町宇賀地区では、地層傾斜の緩い部分も認められる。この地区は、地表踏査結果から中生代の基盤岩が境界断層系よりも東側に張り出して分布しており、比較的基盤岩が浅く分布すると推定される。

・この東海層群の急傾斜構造と東側の低角の堆積構造との境界に前縁断層系が分布する。このことは、第四紀断層の分布と東海層群の地質構造が、密接に関係していることを示していると考えられる。

・「新編 日本の活断層(1991)」で示している「治田断層」、「宇賀断層」、「田光断層」と区分されている前縁断層系は、東海層群の急傾斜構造の分布を考慮に入れると一連の断層である可能性が推定される(太田・寒川,1984では一連の断層として麓村断層としている)。しかし、宇賀地区のように東海層群が比較的低角度で分布している地域もあり、必ずしも断定できない。

A 三滝川以南の地質構造

図2−2−3−3に地質図幅「亀山」から引用した三滝川以南の東海層群(奄芸層群)の模式構造図を示した。この図から、以下のことが推察される。

・東海層群の一般的な地質構造は、NNW−SSE〜NW−SEの走向を示し、NNE〜NE〜NEN方向に緩やかに開いた(水平〜10゜程度)構造を示す。

・東海層群は、境界断層の分布が推定される範囲で、60゜以上(一部では逆転している)の傾斜を示している。また、走向も、断層に沿った方向で分布する。しかし、その分布は局所的である。また、断層近傍で地層が急傾斜を示すのは、地層の撓曲構造を反映しているものと推定される。

・東海層群と、基盤(中生代砕屑岩、花崗岩類)との境界は、三滝川北部地域では断層関係を主体とするのに対し、三滝川以南では、不整合関係を示す露出が多い。境界断層系は、東海層群の傾斜分布から、基盤と東海層群の境界であるよりも東海層群分布域を通過している可能性が高い。

このように、三滝川以南の東海層群の大半が、水平〜低角度で堆積し、中生代の基盤とは不整合関係で分布していることが明らかになっている。一方、東海層群中で高角度の地質構造を示す部分が認められているが、その範囲は局所的であり、空中写真判読から、明瞭な変位地形が観察されていない事実も合わせると境界断層系の活動は、三滝川北部に比べあまり活動的でないことが予想される。

図2−2−3−2 東海層群走向線図(藤原町〜湯の山周辺)

図2−2−3−3 三滝川以南の東海層群構造模式図(宮村ほか,1981)