3−3 地質および地質構造

地形調査と並行して,本断層帯を横切る主要なルートについて地質踏査を行ない,地質構造を把握した.また,鮮新世とそれより新しい時期の堆積物について変形の有無の検討や,活断層露頭の探索を行った.

本調査地域とその周辺の新第三系〜第四系は,北部の雨竜・新十津川地域と南部の浦臼・月形地域で層相や年代が異なり,それぞれ別の名称で呼ばれている(表3−2).本調査地域に分布する地層は,主に鮮新統と更新統である.

雨竜・新十津川地域

北部地域の鮮新統は深川層群と呼ばれ,下位より幌加尾白利加層,一の沢層,および美葉牛層に区分される(小林ほか,1957;日本の地質「北海道地方」編集委員会編,1990).幌加尾白利加層は,主として海成細粒砂岩から成り,含まれる貝化石Fortipecten takahashiiと珪藻化石から中新世末期から鮮新世前半の堆積物とされる.一の沢層は,軽石凝灰岩・凝灰質砂岩・礫岩を主とする海成層である.美葉牛層は,調査地域北部の北竜町美葉牛付近を模式地とする地層であり,陸成の砂岩・泥岩を主とし,凝灰岩と亜炭を伴う.調査地域の一の沢層および美葉牛層には,玄武岩〜安山岩質火砕岩層が挟在する.なお,地質図幅「妹背牛」(小林ほか,1969)・「滝川」(小林ほか,1957)で,広い段丘堆積物の下位に分布するように表現されている美葉牛層は,ほとんどが砂礫層である.

本地域の鮮新統は,中新統とともに西緩東急の非対称な褶曲構造をとっている.特に,後述する樺戸断層群セグメントaにあたる雨竜町新生〜豊里から,新十津川町志寸付近までの撓曲帯付近は,滝の沢背斜と呼ばれる背斜構造の東翼にあたり,鮮新統は急立し,一部は逆転する.

本地域の更新統は,古期岩類・第三系の砂岩および火山岩類の角〜亜角礫から成る礫層を主体とし,砂・シルトの互層を伴う河成段丘堆積物である.堆積物の内容は,地域によりかなり異なる.

浦臼・月形地域

浦臼から月形にかけての鮮新統は,当別層および厚軽臼内層に区分される(垣見・植村,1958;松井ほか,1965;日本の地質「北海道地方」編集委員会編,1990).当別層は,主に層理の不明瞭な青灰色細粒砂岩から成り,北部の幌加尾白利層に対比される.厚軽臼内層は,斜交成層の発達する凝灰質〜軽石質砂岩から成り,一の沢層に対比される.これらを覆う河成段丘堆積物は,一括して浦臼層と呼ばれている.

なお,これまで地質図幅で厚軽臼内層の分布域とされている地域の一部には,凝灰質砂岩層を不整合に覆って厚い礫(岩)層が分布する.これらは,これまで浦臼層と呼ばれていた地層の一部に相当するものと考えられるが,見かけの厚さが200mに達する場合もあり,再定義が必要である.この解説書では,礫岩を主体とする部分をとりあえず厚軽臼内層上部層と仮称し,凝灰質砂岩主体の部分を厚軽臼内層下部層と呼ぶ.厚軽臼内層上部層は,層序関係から前期更新統と推定される.

本地域の地質構造を特徴づけるのは,先新第三系ブロックの上昇と,南東方向へのブロックの張り出しに関係するとみられる北東−南西系の断層と撓曲である.地質学的にみて最も規模の大きな断層は,於札内川上流から札的内川にかけて分布する浦臼断層である.この断層は厚軽臼内層上部層を切る西傾斜の逆断層であり,古くから活断層の可能性が指摘されている(松井ほか,1965;活断層研究会,1991).また,札的内川上流から晩生内にかけて,厚軽臼内層上部層を切る北−南〜北東−南西性の東傾斜低角逆断層(札的沢断層)が認められる.これらより平野側の厚軽臼内層上部層は一般に10〜15゜程度の傾斜であるが,後述するセグメントcの撓曲崖に沿う厚軽臼内層上部層は40〜70゜の撓曲を示す.札的沢断層は,これらの撓曲下に伏在する逆断層のバックスラストに相当する可能性がある.