1−4 平成8年度の調査結果の概要

増毛(樺戸)山地の東縁に沿って,「樺戸断層群」(活断層研究会,1991)または増毛山地東縁断層帯(松田,1995a)と呼ばれる雁行したいくつかのセグメントからなる,B級活断層帯の存在が指摘されている.樺戸断層群(樺戸断層系)は都市近郊に位置し,総延長47km以上の断層帯が同時に活動した場合,マグニチュード7クラスの地震の発生が予測されている.この断層帯については,古地震学的な研究はほとんど行われておらず,その実態はほとんど不明である.

この樺戸断層系の存在の確認,および活動履歴を調査するために,昨1995年度の地形判読,現地地形地質調査,および物理探査により選定した雨竜町豊里・浦臼町札的内の両地区において,各1箇所づつトレンチ調査を実施した.

各トレンチ調査の掘削規模は,長さ50m,幅6.5m,深さ3mとし,掘削後トレンチ法面の地層のスケッチ・記載および写真撮影を行った.またトレンチ法面から各種試料を採取し,分析をおこなった.以下には,主にトレンチ調査の結果についてその概要を述べる.

@雨竜地区の調査結果

雨竜地区トレンチ調査地点は,雨竜市街の北西3.5kmの地点で,南東方向に傾斜している地形面(段丘面)が石狩川低地部が撓み下がる部分(撓曲崖)に位置し,「日本の活断層」(活断層研究会,1991)による「樺戸断層群」のセグメントaの北端部にあたる.

掘削の結果,壁面には地層の撓曲がみられたが,明瞭な断層は認められなかった.トレンチで確認された地層は,下位から礫支持礫層(第1層),基質支持礫層(第2層)砂質シルト層(第3層),灰色シルト層(第4層)および腐植土層(第5層)である.段丘堆積物を構成する層は第1〜3層であると考えられる.

第1層は,トレンチ中央部で緩く撓み下がっている.上位層が削り込む堆積構造が見えないことから,この撓み下がりはテクトニックな運動によって形成されたと考えられる.また,第1層の礫は明瞭な堆積性のインブリケーションがみられる.

第2層および第3層は,上記の第1層の撓み込む部分より東側で厚層化しており,褶曲と層内の小規模のスラストで特徴づけられる構造が,この厚層化の区間で発達している.この構造は,斜面の匍行性移動による変形構造と考えられる.また,同区間では,第1層の礫の配列の乱れや,第1層の礫が第3層に取り込まれるといった現象がみられ,これらは凍結擾乱作用により形成されたと考えられる.この区間の変形構造は,斜面の匍行性移動と凍結擾乱の両者の重複により形成されており,ソリフラクションによる斜面の変形構造と考えられる.

このソリフラクションによる斜面の変形構造形成時には,第1層の上面と同様の構造(撓み)を示していたことになり,したがってソリフラクションによる斜面変動以前に撓曲が形成されていたことになる.

トレンチ位置の段丘面形成時期は最終氷期前半とされており,花粉分析結果と合わせて考えると,段丘面および撓曲の形成は最終氷期には既に終了していたと推定される.この撓曲の変位量は,2mであり,段丘面形成(約5万年前)直後にこの変動が発生したと仮定すると千年あたりの変位量は,0.04mである.しかし,その最終活動時期や変位の累積性は不明である.

A浦臼地区の調査結果

浦臼地区トレンチ調査地点は,浦臼町市街の西約2.5kmの札的内川沿いの地形面に位置し,この地形面が下流側に撓み下がる部分にあたる.また,「日本の活断層」(活断層研究会,1991)による「樺戸断層群」のセグメントcの中央部にあたる.

掘削の結果,トレンチ起点側(北西側)では地層の撓み込みが認められた.また,トレンチ南東端では,本調査で逆断層であると推定した不連続面が認められた.

トレンチ起点側および終点側には,シルト層と礫層の水平な互層(第1層・第4層)が分布し,トレンチの中央部では,起点側の第1層を切り込んで,斜交層理の発達した砂礫層およびチャネル充填礫層(第2層・第3層・第5層・第6層)が分布する.これらの層を覆って,終点側では第7層(シルト層)および第8層(耕作土層)が地形面に平行に分布する.

起点側に分布する第1層(シルト・礫互層)は,トレンチ中央部付近から南東に向かって撓み下がりがみられる.この区間では第1層内のシルト層と礫層の境界面と第1層の上面とが調和的に撓んでおり,上位層による削り込みはみられないことから,テクトニックな運動によって形成されたとおもわれる.また,第2層の一部(2d層)が下位の層にアバットしており,2d層は撓曲によって形成された緩斜面(撓曲崖)に堆積したと考えられることから,この撓曲は第1層堆積後・2d層堆積以前に形成されたと考えられる.放射性炭素年代測定および層序関係から,この撓曲の形成時期は約2,400年以前の時期であり,この撓曲の変位量は約1mである.

トレンチ南東端では,第4層のくい違いで示される不連続面が認められ,不連続面を境に北西側の第4層がずれ上がった様な産状を示す.不連続面周辺では,礫の移動・堆積構造の消失・変形に伴う構造が多くみられ,正断層による変形と逆断層による変形の両者がみられる.この不連続面を説明する説として,

(I)チャネル側壁,

(ii)逆断層

の2つがあげられる.チャネル側壁であると仮定すると,その層序関係から,トレンチ南東端の第6層・第7層間に不整合を考えなければならない.しかしそのような不整合を示す積極的な証拠は認められず,不連続面の産状などは逆断層を示すことから,本調査ではこの不連続面を逆断層と判断した.

逆断層は第2層の一部・第4〜第6層を切っており,第7層が断層面を覆っていることから,その形成時期は第6層堆積後・第7層堆積以前であり,放射性炭素年代および層序関係より,少なくとも2,000年前から300年前の間であると推定される.第7層より上位の層で変形は認められないため,この逆断層を形成した活動は最新活動であると推定される.

以上の調査結果より,以下の活動歴が示される.

<雨竜地区>

雨竜地区トレンチ断面にみられる第1層の撓曲によって示される.最終氷期には撓曲が既に形成されていたと推定される.

<浦臼地区>

1)イベント A:浦臼地区トレンチ断面にみられる第1層の撓曲によって示される.約2,400年以前に活動したと推定される.撓曲の変位量は約1mである.

2)イベント B:浦臼地区トレンチ断面にみられる第4層・第5層・第6層を変位させた逆断層によって示される.変位量は約1.2mである.活動時期は約2,000〜300年前で,最新活動であると推定される.しかし,不連続面が逆断層であるとすると,正断層を示す変形構造などの現象が説明できないため,この逆断層はチャネル側壁である可能性もあり,このイベントの存否はまだ検討の余地があると思われる.