3−1−3 地層分布に関する整理と解析

A.宇治川沿いボーリング資料解析

宇治川に沿って,淀大橋から京大防災研究所(宇治)までの約10km区間に200m間隔程度で48本のボーリング調査結果を取りまとめた.ボーリング箇所は図3−1−2図3−1−3に示す.宇治川断層位置付近の地質断面図を,図3−1−4図3−1−5に示す.宇治川大橋西側のボーリングNo.12,13付近から北側のNo.14,15は宇治川断層上盤に,No.10,11は断層下盤側に位置すると思われる.図から沖積層基底面高度には,北側隆起の断層を示唆する変位は認められない.また,沖積層は層相変化が著しく地層の変位・変形は判読できない.東北東側の山科川と宇治川合流付近ではボーリングNo.29,30が断層上盤側,No.32,33は断層下盤側である.地質断面で見る限り,No.30,No.31を中心に古い段丘堆積層が,標高(OP)約2m(TPでは標高約3.3m)の浅い位置に現れ,その周囲で深くなる.ここでは,宇治川断層の動きを示唆するものは認められない.層相の変化が大きく,宇治川断層の微小な動きは識別できない.

B.宇治川横断測線でのボーリング資料解析

第2京阪道路沿いの第2京阪道路沿いボーリング位置を図3−1−6表3−1−1に,断面図を図3−1−7に示す.宇治川断層はボーリングNo.46とNo.40との境界に想定される.No.46以北では,下位に分布する礫層(後期更新世?)上端面は相対的高く,宇治川断層の南落ちセンスと調和的である.No.46以北のボーリングを見ると,礫層の上端面は明解ではない.N値30程度以上の締まった礫層(後期更新世)分布を考慮すると,No.46以北の礫層上面は標高3m程度,No.40以南の礫層上面はほぼ標高0m弱で分布していると解釈すると,両者の高度差は3m程度である.地層の層相の変化やボーリングの精度均質でないことから,直ちにこの数値が宇治川断層の変位を示すものとは思えないが,宇治川断層の運動を示唆する.

C.地質に現れた地震

寒川他(1987,1988)(1,2)は宇治川と木津川の合流部(御幸橋)付近の低地でおこなわれた「木津川河床遺跡」を調査し,慶長伏見地震起源と思われる地震跡(液状化)を報告している(図3−1−8).それによれば,木津川河床遺跡は,濫原に立地する大規模な低湿地遺跡で,厚い砂.河床礫を覆って現地表から地下2~3mまで弥生時代以降の粘質土が堆積している.下部の砂礫層から供給された噴砂は室町時代までの地層や溝の壁面を切って砂脈を作り,一部で地表に噴出している.そして,江戸時代中期以降の地層や人工改変の跡がこの噴砂を覆い,あるいは削り取っている.この液状化を発生させた地震は1662年寛文2年,近江地震か,1596年慶長元年伏見地震と推定された.その後の発掘調査から伏見地震の際に発生した可能性が高いと見られている(寒川他,2001(3);奥村,1996(4))

文献

(1)寒川旭,岩松保,黒坪一樹(1987):京都府木津川河床遺跡跡において認められた地震跡.

   地震,40,575−583.

(2)寒川旭,岩松保(1988):発掘された地震液状化跡.科学,58,322−325.

(3)寒川旭(2001):木津川河床遺跡第12次.京都府遺跡調査概報,98冊−7,103−104.

(4)奥村晃史(1996):木津川河床遺跡跡の地震後と1596(慶長元年)伏見地震.第四紀露頭集?日本のテフラー,日本第四紀学会,274.

表3−1−1 京都第2京阪道路沿いのボーリング一覧

図3−1−1 宇治川大橋北北西約500m下水道処理場地質断面

図3−1−2 ボーリング位置

図3−1−3 旧地形に表したボーリング位置

図3−1−4 宇治川右岸沿いの地質断面1

図3−1−5 宇治川右岸沿いの地質断面2

図3−1−6 宇治川第2京阪道路(南北断面)でのボーリング位置

図3−1−7 第2京阪道路沿いの地質断面

図3−1−8 木津川河床遺跡での噴砂(寒川,2001)