1−7−4 桃山断層につて

・桃山断層の分布

三方−花折断層帯のうち「桃山断層」は,多くのリニアメントが断続的に判読される。それぞれのリニアメントの長さは0.5〜3.0km程度であるが,全体では約8kmの長さとなる。

桃山断層は,深草地域を境目として北側と南側では断層の断層の性格がやや異なる。

深草以北では,大きく3列のリニアメントが判読され,そのうち西側の列と真中の列のリニアメントは段丘面および扇状地面に変位を与えている。東側の列のリニアメントは山地と丘陵の境界にあり,稲荷山断層と呼ばれ,基盤岩である丹波帯中・古生層と大阪層群が接する断層に相当する。

深草以南では,大きく2列のリニアメントが判読される。この2列は深草以北の西側と真中の列のリニアメントに対応するもので,稲荷山断層に相当するリニアメントが認められない。すなわち大阪層群と丹波帯中・古生層は不整合関係にあり,不整合面および大阪層群はゆるく西に傾斜している。

・桃山断層の活動性

桃山断層の活動性について,最終活動時期や活動間隔などはもとめることはできなかったが,大阪層群から低位段丘にいたる地層を変形させていることが具体的なデータで示すことができた。

また,扇状地面で2〜4m,低位段丘面で4〜7m程度変位している可能性があり,これは今回群列ボーリングを実施した地点の地形断面でも同様である。ボーリングの結果,低位段丘堆積層の最下部にAT火山灰の痕跡が認められることから,低位段丘面の年代は約2万年前前後と推定され,低位段丘面を変位させている断層はそれぞれ0.2〜0.35m/1000年程度(B級でも小さいほう)の変位速度を持っていると考えられる。

これらの結果から桃山断層の活動度はB級下位の可能性が指摘される。

東山山地と桃山丘陵の地質構造

平成10年度の桃山断層の調査と平成9年度の山科盆地周辺の活断層調査とあわせて,東山山地および桃山丘陵を横断する断面図を図1−3図1−4に示す。

図1−3 京都盆地東縁から山科盆地の地下地質構造模式断面図(その1)

図1−4 京都盆地東縁から山科盆地の地下地質構造模式断面図(その2)

深草地域を境界として,北側と南側では断層の様子が異なる。

北側では,東山山地の両側に明瞭な断層(稲荷山断層と勧修寺断層)が存在する。一方,南側では桃山丘陵の東側に小栗栖断層が存在するのに対し,西側では明瞭な断層が認められず,大阪層群が基盤の丹波層群を不整合に覆って緩く西側に傾斜している。

すなわち,東西圧縮に対し,深草地域より北側では,東山山地の両側が断層で切れて活動しているのに対し,南側では桃山丘陵の東側が断層(小栗栖断層)で切れ桃山丘陵が上昇しているが,西側はそれについて緩く傾き,段丘面がわずか撓む。

この様に桃山断層は深草地域を境目とし,北側と南側では活動の様式が異なると考えられる。

・花折断層との関係

桃山断層は花折断層の南に位置する。花折断層は比較的明瞭なリニアメントが判読され,さらに河谷の右横ずれも卓越し,A級の活動度をもつ可能性も指摘されている(吉岡,1986)。また,花折断層北部では平成8年度の地質調査所のトレンチ発掘調査の結果,途中谷地域において最終活動時期が15世紀〜17世紀頃と考えられ,1662年(寛文2年)の寛文地震の可能性が指摘されている(吉岡ほか,1998)。

一方,花折断層の南部では,北白川において,約2,500年前の腐植土層を切り古墳時代ないし平安時代と推定された土壌に覆われる逆断層露頭が報告されている(石田,1967)。さらに,大原以南には平安時代からの寺社が多数存在するが,1662年の寛文地震時には特に被害は記録されておらず,寛文地震時には大原以南の断層は活動しなっかたと推定されている(木村ほか,1998,吉岡ほか,1998)。

この様に,花折断層は北部と南部で活動の歴史が異なる。

さらに,南の桃山断層との関係については以下のように考えらる。

地質調査所の5万分の1地質図幅「京都東北部地域の地質」(木村ほか,1998)によると,花折断層の南端部は吉田山付近まで明瞭な変位地形が認められ,南の丸太町通りでも浅層反射法弾性波探査によって大阪層群(吉田山礫層)に撓曲変形が認められるとされている。すなわち,吉田山以南では低位段丘面に変位地形は認められないが,下位の大阪層群は変形しているということである。

今回調査を行った桃山断層では,先に述べたように,大阪層群から低位段丘にいたる地層が変形していることがあきらかとなった。

これらを考え合わせると,大阪層群を変形させた断層運動は,北側の花折断層から桃山断層まで連続する可能性があるが,低位段丘を変形させる断層運動については,吉田山の南,岡崎付近で途切れると考えられる。さらに,北側の花折断層では明瞭な変位地形である低断層崖が認められるのに対し,南側の桃山断層では不明瞭な撓曲崖しか認められない。これは,断層運動の様式が異なっていることを示している。すなわち,低位段丘が形成されてから以降(最近数万年間),花折断層と桃山断層は活動様式が異なる可能性が指摘できる。