(2)文献による個別活断層の記載

以下に吉岡(1987)および植村(1990)から各活断層についての記載をまとめた。また,国土地理院(1996)「1:25,000都市圏活断層図」に名前が図示されている活断層について長さなどの記載を行った。

1)樫原断層

京都盆地西縁を限る断層であり,吉岡(1987)は北西−南東ないし南北の走向を示し,全長約10kmであると記載している。また,植村(1990)は右京区嵐山から向日市上植野付近まで北北西走向で約9km連続すると記載している。松尾以北では山地と低地が接する断層崖を形成している。断層崖の比高を,植村(1990)は100〜150m,吉岡(1987)は200〜300mと記載している。松尾以南は大阪層群からなる向日町丘陵と低地部の境界をなし,大阪層群を撓曲させている。

吉岡(1987)はこの断層の北方延長について,垂直変位の向きが変わって,東側隆起となり,山地高度不連続線として,越畑断層に連続すると記載している

植村(1990)は松尾以南の丘陵東縁について比高50〜70mの撓曲崖と,その低地側に松尾から樫原にかけて長さ約2.5kmの山田断層を記載している(図1−4)。また,撓曲崖の比高は物集女で20〜30m,向日町で10〜20m程度と南へ低下し,上植野付近で丘陵が消滅すると記載している。

国土地理院(1996)「1:25,000都市圏活断層図」では嵐山付近から向日市市役所東側付近まで約7.5kmの長さで,位置がやや不明瞭な活断層として図示されている(図1−3−1図1−3−2)。

また,1本の断層でなく前縁に分岐断層が幾本か図示されている。

植村(1991)は深井戸の試料により基盤の深度を確認し各断層の基盤の垂直変位量を考察している。それによれば,樫原断層は北端の嵐山付近で−32mに基盤がありこの付近の小起伏面との高度差は約300mである。松尾以南で基盤は深くなり,桂付近では−200mでも基盤にあたっていない。

2)光明寺断層

樫原断層の南西約3kmにほぼ並行して延びる断層で,吉岡(1987)は全長約4km,植村(1990)は吉岡(1987)より南に2km延ばし全長約6kmと記載している。

断層北部は大阪層群中を走り,大阪層群に撓曲変位を与えており,光明寺付近の約1kmは基盤と大阪層群との境界をなし,長方寺以南では丘陵と低地の境界をなす。丘陵の開析谷には数カ所で左ずれのオフセットが認められる。

国土地理院(1996)「1:25,000都市圏活断層図」では大原野付近から長岡京市恵解山古墳付近まで約6kmの長さで,位置がやや不明瞭な活断層として図示されている(図1−3−1図1−3−2)。長岡京市長方寺以北はこれまで記載されていた位置と違い,北東側に約500mの位置に活撓曲として記載されている。

植村(1991)の深井戸の試料では,灰方では3mで基盤にあたり,変位量は120m前後であるが,光明寺付近では約210mと変位量が増大しているため,基盤は南方へ深度を増す傾向があると記載している。

3)走田断層

植村(1990)は,長方寺から奥海印寺にかけて約1.3km連続し,走向N60゚Eで直線状に丘陵と高位段丘面との境界をなす断層であり,光明寺断層と金ヶ原断層を結ぶ断層であると記載している。

4)金ヶ原断層

光明寺断層の南西約1.5kmに平行して延びる南西側隆起の断層であり,吉岡(1987)は比高約150mの断層崖を伴う,地形的に約2kmの長さの断層であると記載している。ただし,今住他(1984),今住・小林(1985)は物理探査の結果などから淀川を横切って南東に続くと推定し,金ヶ原断層は有馬ー高槻構造線を切っているものと解釈している。植村(1990)は,奥海印寺西方から大山崎付近まで約4km連続し,天王山の北東向きの断層崖を形成していると記載している。

植村(1991)の深井戸の試料では,下海印寺や円明寺で−80m付近に基盤が確認され変位量は西側隆起約350mとなっている。

5)天王山断層

植村(1990)は,天王山山塊の南縁を東北東走向で約2.5km連続する断層であると記載し,比高約50〜100m程度の断層崖を形成している。有馬−高槻構造線の延長にあたる断層であり,断層崖を開析する4本の谷には40〜100mの右ずれオフセットが生じていると記載している。

国土地理院(1996)「1:25,000都市圏活断層図」では島本町東大寺付近から大山崎町観音寺付近まで約1.7kmの長さで,明瞭な活断層として図示されている(図1−3−1図1−3−2)。

植村(1991)の深井戸の試料では,山崎付近で変位量は約320mに達する。本断層と金ヶ原断層により低下したと見られる三川合流地域では550〜650m前後の垂直変位があると記載している。

6)西山断層

吉岡(1987)は西山断層について,以下のように記載している。

「北摂山地と京都盆地を境する断層で,走向はほぼ南北,全長は約10kmである。断層崖の比高は北部で約400m,南部で約100mである。崖の上には多くの風隙地形が見られ,西側隆起の運動が推定されるが,崖の基部は厚い崖錐に覆われ,低断層崖などの変位地形は認められない。」

西山団研研究グループ(1967)の地質図では,この断層は大阪層群中部亜層群の分布範囲の西縁とほぼ一致する。

7)越畑断層

殿田断層の南西端から南へ延びる断層で,原及び越畑ではT面に撓曲崖もしくは低断層崖と考えられる湾曲した低崖が認めれられる(吉岡:1987)。また,吉岡(1987)によると地形面は西に向かって凸で,東側隆起を示唆しているとしている。

活断層研究会(1980,1991)及び国土地理院(1996)「1:25,000都市圏活断層図」では,本断層と殿田断層南東部とあわせて神吉・越畑断層としている。

国土地理院(1996)「1:25,000都市圏活断層図」では神吉・越畑断層として24km以上の長さで図示されているが,多くは位置がやや不明瞭な活断層として図示されている。吉岡(1987)の越畑断層部分は約11kmで,断層部両端が明瞭な活断層として図示されている。

8)亀岡断層

亀岡盆地の北東縁を北西−南東方向に走り全長約20km,北東側隆起の断層である。南東延長は左ずれ変位を伴いながら京都盆地西縁まで延び,西山断層に連続する。