(1)京都西山断層群について

本調査地域を含む京都盆地西縁部は,新期の変位を受けた地形や断層が発達している地域である。中村他(1936)以来,水山(1953),上治(1961),西山団研グループ(1966)などにより研究が行われ,その結果,断層の位置や性質が明らかにされてきた。近年では,活断層研究会(1980,1991)(図1−2),吉岡(1987),植村(1990)などにより,活断層の詳細な調査がおこなわれ,変位地形を指標とした断層運動の特徴や変位速度などが記載された。また,国土地理院(1996)「1:25,000都市圏活断層図」では活断層の位置が1:25,000地形図に記入されている(図1−3−1図1−3−2)。

水山(1953)は,露頭の記載及び地形から樫原線(樫原断層),高畑線(光明寺断層),金ヶ原線(金ヶ原断層)の3つの変位線について記載を行った。また,礫層の堆積から,金ヶ原線の運動による地形は,樫原線の運動による地形より古いと考えられ,高畑線はその中間に位置するものであろうと記載している。

上治(1961)は京都近傍5万分の1地質図および同説明書であり,その中の地質構造の章で,主要新期構造について記載し,西山断層及び亀岡断層について,以下のように記述している。

「西山断層は京都盆地の西縁を画し,古生層山地と第四紀層との境界をつくって,ほぼN10゚Wに走る。この北方延長は遠く周山方面に達する。その分岐と見るべき亀岡断層はN30゚Wに走って亀岡盆地を縦断し,亀岡盆地の生成と関係が深い。」

西山団研グループ(1966)は,西山地域の丘陵の地質図及び地層層序を示した。大阪層群の急傾斜部分を地質構造図中に示し,本文中で,光明寺断層と言う名前を記述している。大阪層群の急傾斜部分は,向日町丘陵東縁(樫原断層相当部分),光明寺−長峰(光明寺断層),山寺−金ヶ原(金ヶ原断層相当部分)などであり,南北あるいは北西−南東方向の走向で線状に現れると記述している。また,「この急傾斜部に断層面は認められず,むしろそれより西側のやや傾斜が緩くなったところに,急斜部と平行な小断層が見られる」とも記載している。

吉岡(1987)及び植村(1990)は調査範囲で見られる個別の活断層について詳細な記載を行っている。また,活断層研究会(1980,1991)は20万分の1の地形図に個別の断層位置を図示し(図1−2),活動度や長さ,活断層認定基準など各活断層の諸性質を表としてまとめている(表1−1)。同じく吉岡(1987)及び植村(1990)も各活断層の諸性質を表としてまとめ(表1−2表1−3),それぞれいくつかの断層露頭および大阪層群の急傾斜露頭を報告している。

吉岡(1987)は京都盆地周辺の活断層の活動時期にそれぞれ差異があるとし,それが京都盆地の形成史に大きな関連があると考え,それぞれの断層の活動時期について考察している。

吉岡(1987)は西山断層については盆地内に堆積が始まったMa1〜Ma2の時期に,亀岡断層については亀岡盆地内に堆積が始まったMa3〜Ma4の頃に活動が始まったと推定している。また,西山,亀岡断層は断層線崖が厚い崖錐で覆われていることから,それぞれ更新世の中期のうちに活動が不活発になった可能性が高いと推測している。

また,光明寺断層,樫原断層の南部については中部亜層群に撓曲を与え,特に光明寺断層では,地層が複雑に流動・変形していることから中部亜層群堆積中もしくは堆積直後に活動を開始したと推測し,さらに樫原断層北部は盆地北部に中部亜層群が分布しないことから中部亜層群堆積後に活動が活発化した可能性が高いと記載している。

以上から吉岡(1987)は京都盆地東側の活動を含め,京都盆地周縁部の活断層は,その活動時期を南から北へと移動させている傾向にあると推定し,その移動は連続的で,ある時期を境とする急激なものであるとは考えにくいと述べている。

植村(1990)は京都盆地西縁断層系について以下の3つのタイプに分類している。

(1)西山断層・神内断層・樫原断層

南北走向で山地・丘陵・低地の主要な地形境界をなす。西山断層は南端部の神内断層を除き新期の変位地形は発達していない。樫原断層は北部で断層を伴う撓曲構造をしめし,基盤の高角逆断層による表層部での変形を示すものであろうと推定している。

(2)光明寺断層・金ヶ原断層

NNW−NW走向で並走し,西〜南西側隆起を示す逆断層で,一部に左ずれ成分を伴っている。全体として右雁行配列をなす点が注目される。

(3)走田断層・天王山断層

ENE走向をもつ短い断層である。北側隆起を示す逆断層で,右ずれ成分を伴う。(2)の断層の両端部を結ぶように延びている。

また,植村(1990)は,これらの活断層系は北摂山地が逆断層で京都盆地に衝き上げるという構造を反映したものであると記述している。また,(1)タイプの断層の間に(2)タイプの断層が右雁行状に配列しているのは左ずれ応力下でのリーデルせん断による断層の形成を示すものと考え,北摂山地の南進と京都盆地の北進という両ブロックの水平運動により規定された現象であると記述している。

さらに,(2)と(3)の断層は走向と横ずれ成分から東西水平圧縮下において共役断層系として形成されたものであると推定できる。

さらに,植村(1990)は,断層の活動時期として約100万年前と約50万年前の2時期を識別した。約100万年前は,西山断層が活動し京都盆地と北摂山地が分化した時期である。また,砂礫層がMa7の上に約20〜30m堆積していることから,この礫層は約50万年前頃から後背域の急激な隆起に伴って形成された変動期の礫層であると推定した。さらに,この時期に光明寺・走田・金ヶ原などの断層も活動を開始し,特に30万年前頃に激しい断裂が生じたと述べ,これらを50万年前の変動と呼んでいる。植村(1990)は過去100万年間における地殻変動は速度が徐々に加速しつつ進行してきたというより,応力の急増による2回の断層運動の激化期をはさみつつ定常的な変動が進んでいると見るべきではないだろうかと記述している。

植村(1990)は,その他次のような結論を得ている。重力異常と微小地震の特徴を整理し,北摂山地と京都盆地西縁との境界部で,上部地殻の厚さが急変していることを見いだした。そのことがアイシスタシーの不調和をまねき,西縁断層系の発生要因になっていると推定した。また,活断層と地形形成との関係を六甲山地と比較し,両者が多くの共通点をもち,東西圧縮応力場におけるテクトニクスの反映であることを示した。