(6)1830年の亀岡の地震と亀岡断層

1830年8月19日(天保1年7月2日),亀岡周辺を襲った地震(M6.5)について,尾池(2001)は同地震を「京都および隣国の地震:洛中洛外の土蔵のほとんどが被害を受けたが,民家の倒潰はほとんどなかった。御所・二条城などで被害。京都での死280。上下動が強く,余震が非常に多かった。鳴動あるいは弱い地震で始まった。丹波亀山(現亀岡市)では城中はたいしたことはなかったが,崩家41,死4,傷5」と記述している。同地震の震央を,宇佐美(1975,1996)は亀岡断層北東方向に近接する神吉断層付近と推定し,「日本の活断層」(1980,1991)はこれを引用している。

三木(1979)は詳しい歴史資料の検討から,起震断層の可能性のあるものとして,亀岡断層や殿田−越畑断層を挙げている。

松田(1990)も,この地震と京都西山断層群,三峠断層群との関係を推定している。しかし,「この地震と活断層との関係についての証拠や詳しいことはなにも,分かっていない」と述べている。

調査でも,F1,F2断層の最新活動時期と1830年の亀岡の地震との関連を考慮し,検討を行なった。しかし,盆地内のF1断層,F2断層の最新活動を特定できないため,同地震との対応を論及することはできなかった。また,現地で同地震の地変や被害の伝承,言い伝え等の聞き込み調査でも,文献以上の新たなデータは得られなかった。