3−3 地表踏査調査

A.調査の概要

亀岡断層についての文献調査、空中写真判読の机上検討結果を基に、地表踏査調査で断層の位置や性質についての地形的・地質的な検討を行い、その後の実施が予定されている物理探査等の資料とした。

B.調査の結果

地表踏査調査で調べた亀岡断層の変位地形とP波探査測線候補を、9月17日に、岡田、東郷、堤委員を交え、現地で検討した。その状況を図3−3−1に示す。当日の議論の内容を、以下に記す。

(1)亀岡市下池周辺

丹波帯中古生層と花崗岩との関係を見学した。盆地内の亀岡断層付近に両者の境界があることから、両者の境界の一部が地下で断層と重複している可能性を議論した。

(2)千歳車塚古墳周辺

(a)低位段丘と沖積低地間の段丘崖に重複する「盆地内の亀岡断層」の低断層崖や、沖積面より少し高い扇状地面に変位の可能性が東郷委員から指摘され、ここでの断層の位置と活動性を検討した。

(b)平成8年度京都府活断層調査(3)の掘削トレンチ箇所の地形が変位地形を示すものか、どうかを検討した。その結果、リニアメントから東側にずれていることから、浸食崖の可能性が指摘された。

(c)非対称を示す車塚古墳を見学した。古墳形成後の地震による変形の可能性も指摘され、「盆地内の亀岡断層」の最新活動時期を知る上で、重要であるから、地震による変形なのか、文献での検討が必要との指摘があった。

(d)低位段丘上の車塚古墳から東側に南北方向に延びる沖積低地がある。低位段丘から東側の低地に向かって地形が傾斜することから、この傾斜は変動凸地形と見なせる。従って、地形形状から断層は低角度逆断層の可能性が東郷委員から指摘された。

(e)山麓には急斜面扇状地が広がり、ここに山麓の亀岡断層が走ることが岡田委員から指摘された。

(f)P波探査候補測線(車塚古墳南)の道路状況、リニアメントとの位置関係を見学した。

(3)三日市周辺

(a)低位段丘の西端、沖積低地との境界の低崖を「盆地内の亀岡断層」断層崖として空中写真で判読できる。この南側延長上の水田に変位地形が残されて いるので、断層の最新活動時期は水田形成後の可能性も考えられると東郷委員から指摘された。

(b)三日市集落内では、リニアメントから推定された断層の東側に軽微な凸地形がある。これは車塚古墳周辺と同じ地形地質状況を表していると東郷委員ら指摘された。

(c)空中写真判読や現地地形状況から三日市集落西側のリニアメントはその南で消滅し、七谷川まで続かない。その東側で雁行するリニアメントとして現れ、国分寺西側のリニアメントに連続すると東郷委員から指摘された。

(d)平成8年度京都府活断層調査(3)地点(千歳町)を遠望し、山麓の亀岡断層の位置の検討がなされた。断層がどうか判然としないとの意見もあった。

(4)河原林町で

(a)P波探査測線候補である千歳町から河原林町を経て、桂川堤防までの東端から西端までの道路状況や地形状況及び観測条件などを視察した。

(5)国分寺跡

(a)国分寺跡を見学し、その西側を通るリニアメント(撓曲崖と判読している)の位置と撓曲幅を現地で検討した。今後、ピットと火山灰分析で段丘面形成期の確定と簡易測量での変位量の確定により、盆地内の亀岡断層の活動度の算出が可能であると東郷委員から調査法について提案があった。

(b)国分寺跡南側で低位段丘上の低断層崖(比高4〜5m)を見学し、「盆地内の亀岡断層」の活動度の推定が妥当なものであると指摘された。

(6)毘沙門から保津町

(a)東側落ちの断層と思われるリニアメントを現地で確認した。

(b)保津町墓地から南側に延びる低断層崖を見学し、広い範囲での簡易測量で正確な変位量を求めることの必要が東郷委員から指摘された。

(c)保津町保育園東側の水田境界の畦を最も新しい時期に形成された低断層崖であるかもしれないと東郷委員から指摘された。