3−1−2 古地震に関する文献調査

宇佐美(1975,1996)(32,33)は1830年8月19日(天保1年7月2日)の地震(M6.5)の震央を神吉断層付近に推定している。三木(1979)(34)は歴史資料の詳しい検討から起震断層の可能性のあるものとして、亀岡断層、殿田〜越畑断層を挙げている。

尾池(2001)(35)は「京都及び隣国の地震:洛中洛外の土蔵のほとんど被害を受けたが、民家の倒潰はほとんどなかった。御所・二条城などで被害。京都での死280。上下動が強く、余震が非常に多かった。鳴動あるいは弱い地震で始まった。丹波亀山(現亀岡市)では城中はたいしたことはなかったが、崩家41、死4、傷5」と文献調査から同地震の被害を記述している。

松田(1990)(1)もこの地震と京都西山断層群、三峠断層群との関係を推定している。

しかし、この地震と活断層との関係についての証拠や詳しいことは何も分かっていない。